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20171225 吾輩ハ羊羹好キデアル ― 今年のいただき物 その2 お菓子編 ―

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ちなみに吾輩は羊羹好きではない。しかし、羊羹が嫌いではない。酒好きだが甘いものも好きである。特にチョコレート。しかし、バレンタイン・デーに義理チョコ以外もらったことがない。(そんなことはどうでもいい。)

ということで、今年10月ぐらいにいただいた羊羹である。

東北大学附属図書館には「漱石文庫」なるものがある。これは、漱石の没後、愛弟子の小宮豊隆が館長をしていたことから、漱石の蔵書を移し、その後諸資料を加えて現在に至ったものである。
当羊羹は、漱石没後100年(平成28年)と生誕150年(平成29年)を記念して、当館と白松がモナカ本舗(仙台)とが共同企画、販売したもの。

今日、ようやく食べてみた。以下はそのレビューである。

まずピーナッツ羊羹から。
はじめピーナッツジャムのような味がするが、次第に炒り豆のような香ばしさが出てきて、なかなか面白い。漱石らしい一癖ある味わい。

次に紅茶羊羹。
しっとりした舌触り。あまり味を感じないが底の方から湧き出てくるような紅茶の風味。奥行き、深みのある漱石文学の味わい。

どちらも上品ながら一癖ある味わい。漱石らしいかな。

なぜピーナッツなのか。なぜ紅茶なのか。包装紙に書いてある。

漱石は持病の胃潰瘍のため禁じられていたにもかかわらず、「南京豆の油揚げ」(ピーナッツ)が好物で、こっそり食べていたという。
紅茶は、彼の作品中にもたびたび登場しており、英国嫌いだが紅茶は好きだったのだろうとのこと。

*   *   *

羊羹とは「羊」(ひつじ)の「羹」(あつもの…肉や野菜を煮た熱い汁物)、と書く。wikiによれば、元々中国で作られた羊の肉を煮込んだスープが、鎌倉・室町時代に禅僧によって日本に伝わった際、肉食を禁じられていたため、羊の代わりに小豆を使って作られ、これが現在の日本の羊羹の原型になったという。

それにしても羊羹など久々に食べた。濃厚な味を予想していたが、上品な甘さで、くどくなく食べやすい。緑茶とともにいただいたが、「ほっ」と心が落ち着く。漱石のペーソス、羊羹の歴史、東北大学と漱石の関係を振り返る。そんなひと時を味わわせていただきました。

ありがとうございます。

 

 

20171225 吾輩ハ羊羹好キデアル 今年のいただき物 お菓子

 

 

付記1

漱石が羊羹好きであったかどうかについては定かではない。

 

付記2

現在購入できるかどうかは不明。(たしか限定数販売。)白松がモナカ本舗のHPには特設サイトがあり、その中の河北新報の今年11月の記事の引用中に同商品の広告があるので、もしかしたらまだ在庫があるかもしれません。
白松がモナカ本舗HP
河北新報記事(引用)

 

付記3

東北大学附属図書館HPにおける紹介
東北大図書館と白松がモナカ本舗が「漱石文庫」オリジナル羊羹を共同企画

 

付記4

wikiによれば、羊羹は和菓子のなかで「棹物」(さおもの)に数えられ、数え方も「一棹」(ひとさお)、「二棹」(ふたさお)と数えるという。ちなみに箪笥(たんす)も「~棹」(さお)と数えるが、これは江戸末期の箪笥が長持の金具に棹を通して担いだものであることからそう呼ばれたもののようである。

 

付記5

これと一緒に「あきう羊羹」もいただいた。

「大納言」「塩竈もしお」「黒胡麻」の三種類。すっきりした味わい。水羊羹に近いなめらかさ。澄んだ味。これも美味しかったですね。手軽に食べられる一口サイズであるのも良かった。脳が疲れた時のエネルギー補給にも使えるのではないでしょうか。(販売:井ヶ田製茶株式会社、宮城県仙台市青葉区)

 


付記7

さらに一緒にいただいのが「仙台ずんだせんべい牛たん入り」。「ずんだ」と「牛たん」の入ったせんべい? 食べてみた。言われればそんな気もする(苦笑。味は無難に食べられる味。山葵が効いているのか、甘さや塩辛さ控えめ。お茶請けにいいですね。(青葉亭、仙台)


付記8

昨日「電車の中でたまたま聴きました」、とツイッターでつぶやきました。この歌は甘くはない。
満島ひかり 『群青』


20171230 「石巻日日こども商店」による「木の屋の缶詰」 ―今年のいただき物 その3 缶詰―

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はじめてこの缶詰を贈られ、そのパッケージを見た時、驚きだった。デザインがあまりに新鮮だった。まるで海風が吹き抜けるような爽やかさ。缶詰の既成概念を破壊していた。

見れば、中身は「木の屋石巻水産」。刺身に使えるような新鮮な魚を新鮮なまま缶詰しているので、味の明確さ、鮮やかさがちがう。特に金華さばを使ったさば味噌缶は絶品。食事にも、お酒のお供にも。個人的には温かいご飯といっしょに食べると最高でした。

この缶詰のデザインを担当したのが、「石巻日日こども商店」。以前紹介した「石巻日日こども新聞」の「こども記者たちが地域とコラボレートして生まれたアイテムを販売する」(ホームページより)商店です。(「石巻日日こども新聞」紹介記事→「20170925 石巻日日こども新聞と坂本くん」)

今回の缶詰は、「石巻日日こども商店」がデザインを、「木の屋石巻水産」が製造を担当、「風の子応援プロジェクト」が受注、在庫管理、販売をサポートするという三者のコラボレーション商品。

商品についての説明は、同商店のホームページのほか、石巻日日こども新聞にもくわしい。
石巻日日こども商店HP
石巻日日こども新聞HP

また、購入はネットショップで可能なほか、実店舗でも直接購入できる。場所は、石巻の橋通りにある「石巻ニューゼ」内。

子どもたちの息吹と共に石巻の新鮮な海の幸を堪能できました。ありがとう。

 

20171230 「石巻日日こども商店」による「木の屋の缶詰」 ―今年のいただき物 その3 缶詰―

 

 

付記1
女川町をホームタウンとする社会人サッカークラブ「コバルトーレ女川」が、11月の「全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017」で優勝。12月6日にJFLへの入会が承認された。JFLは日本のアマチュア最高峰リーグ(16クラブ参加)。これは素晴らしいことですね。おめでとう、コバルトーレ女川!!

コバルトーレ女川が初V、大震災乗り越えJFL昇格(日刊スポーツ)
コバルトーレ女川 JFL入会が正式決定(石巻日日新聞)

付記2
軽妙な曲です。
Kygo, Selena Gomez - It Ain't Me

 

 

20171231 2017年の大晦日

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読書をして、買物をして、小掃除をしたら、今年もあと1時間を切ってしまいました。

今年は出会いの年でした。
来年はどんな年になるのか。
いずれにしても得た出会いは大切に。
皆さんは?

良いお年を。

 

付記1
今年のお気に入り。


付記2
2016年の日本酒、映画のまとめレビューは年明けになります。

20180103 正月の生田

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年賀状を買いに外出したら、午後の日差しが眩しくて、日暮れ前のその景色がいとおしくて、自宅からカメラを持ち出し撮影してきた。

この日の生田は風が強く、自転車で走り回ると、さながら風の子の気分。
空気が冷たく澄んでいるので、富士も顔をのぞかせていました。

ズームで新宿の高層ビル街を望む。

正月3日の午後4時の生田の風景でした。

 

 

 20180103 正月の生田

 

 

付記1 2017年の日本酒レビュー

 2017年に飲んだお酒について、総合ベスト2とタイプ別ベストを出してみた。丸付き数字がついているものはリピート希望のお気に入り。

●ベスト2…タイプを問わず次の二つが最も美味しかった。

 ・百春 特別純米#5 直汲みおりがらみ 28BY(岐阜)…とろけるような甘やかさ
 ・秀鳳 純米大吟醸 出羽燦々33 生原酒(山形)…口の中で変幻する味わい

●超濃醇タイプ(濃厚な米の旨味と甘味と酸味)

 ①菊鷹 -雌伏-山廃純米無濾過生酒(愛知)
 ②Ikioimasamune Yellow carp 秋あがり 純米無濾過火入(長野)
 ③太陽 純米吟醸 無濾過生原酒 酒槽しぼり赤石たれくち28BY(兵庫)

 大七 純米生酛(福島)
 長珍 特別純米酒(愛知)
 太陽 純米吟醸 神稲(くましね)無濾過生原酒 野条穂 25BY
 居谷里 山廃純米原酒70 27BY(長野)
 Debut 純米無濾過生原酒(福岡)
 大倉 山廃特別純米 備前朝日 無濾過生原酒 26BY(奈良)

●とろけるような甘やかさ

 ①豊賀 純米吟醸 中取り無濾過生原酒 天女のしずく 28BY(長野)
 ②長陽福娘 山田錦無濾過生原酒 純米吟醸 山口9E(山口)
 ③残草蓬莱 純米吟醸 Queeen 槽場直詰生原酒 by28(神奈川)

 ほしいずみ 純米無濾過生原酒 滓がらみ(愛知)
 黒松仙醸 純米大吟醸 Prototype 28By (長野)
 黒松仙醸 こんな夜に… 雷鳥 純米奔酒(おりがらみ生) (長野)
 百春 美濃錦 純米直汲み 無濾過生原酒 16号 おりがらみ 28BY(岐阜)
 竹泉 雄町 純米吟醸 生原酒 槽口直詰 27BY(兵庫)
 あべ 直汲み純米吟醸無濾過生原酒(新潟)

●ふくよかで甘味・酸味・旨味ともに豊かなタイプ
 ①楯野川 純米吟醸 主流(山形)
 ②あたごのまつ 純米吟醸ささらおりがらみ生酒 29BY(宮城)

●濃醇で艶めかしい酸味を感じるタイプ
 ①真名鶴 純米吟醸 奏雨-sow- (福井)
 ②サケ エロティック 生酛トロワ(長野)

●現代の新定番辛口酒すなわち旨味もあるタイプ
 ①天吹 別純米酒 山田錦 超辛口(佐賀)
 ②旭興 特別純米 辛口 (栃木)
 ③石鎚 純米 緑ラベル(愛媛)
 ④万齢 特別純米超辛口 鐘馗(佐賀)
 ⑤千代むすび こなき純米 超辛口(鳥取)

●キュートな甘さと酸味、米の旨味が楽しめるタイプ
 ①三千櫻 純米 五百万石 直汲み生原酒 28BY(岐阜)
 ②津島屋 外伝 純米 無濾過生原酒 父なるライン パールヴァイン 2017 Summer
 ③津島屋 純米吟醸 広島産八反錦 無濾過生原酒(岐阜)

 津島屋 純米吟醸 信州産美山錦 無濾過生原酒(岐阜)
 津島屋 外伝 父なる川 ワイン酵母 おりがらみ(岐阜)

●米の旨味を前面に出した個性派タイプ
 ①本金 純米吟醸 美山錦 火入れ 28BY(長野)
 ②風が吹く <青> 山廃仕込純米生酒 中取りH27BY(福島)
 ③酉与右衛門 直汲み純米無濾過生原酒 亀の尾(岩手)
 ④十六代九郎右衛門 生酛 特別純米 金紋錦 無濾過生原酒 28BY(長野)
 ⑤十六代九郎右衛門 山廃 特別純米 金紋錦 火入れ原酒 27BY(長野)

 今錦 おたまじゃくし(長野)
 吟田川(ちびたがわ) 純米吟醸(新潟)
 鶴齢 純米 山田錦65% 無濾過原酒 28BY(新潟)

●微発泡感がクセになるお酒
 ①謙信 純米吟醸生酒 越淡麗(新潟)
 ②房島屋 純米吟醸 山田錦 “兎心BLACK” 28BY (岐阜)

●シャープな酸味がサプライズの辛口
 ①栗駒山 特別純米(宮城)
 ②蔵王 特別純米酒 冷やおろし(宮城)

●華やかな香り・キュートな酸味を楽しめるタイプ
 ①流輝 純米吟醸 無濾過生原酒 山田錦60(群馬)
 ②華一風 低圧しぼり 特別純米生酒(青森)
 ③篠峯 ろくまる 八反 純米吟醸 無濾過生酒(奈良)

 陸奥八仙 赤ラベル 特別純米無濾過生原酒(青森)
 町田酒造 純米吟醸 雄町 直汲み 山田錦 火入れ(埼玉)
 阿櫻 特別純米無ろ過生原酒 中取り限定品 秋田酒こまち(秋田)

●華やかさはないがキュートな酸味が楽しめるタイプ
 ①一ノ蔵 純米酒 ワタシノオト(宮城)
 ②舞美人 山廃純米 無濾過生原酒 sanQ(福井)

●甘味・旨味・酸味のバランスよいタイプ
 ①貴 純米吟醸 山田錦50 無濾過生原酒(山口)

●太い米の旨味と酸味、複雑味を味わえるタイプ
 ①奥能登の白菊 純米吟醸 無濾過生原酒そのまんま(石川)
 ②津島屋 窮めの山田錦 純米大吟醸 兵庫県産特等山田錦 無濾過生原酒(岐阜) 

 櫛羅 純米吟醸 中取り生酒 ~kodamaTuning~ 27BY(奈良)
 櫛羅 純米 山田錦 中取り 無濾過生原酒 28BY(奈良)
 松の司 純米吟醸(滋賀)
 松の司 純米吟醸 あらばしり(滋賀)
 蒼田 特別純米酒 山廃仕込(福岡)

●繊細できれいな味わいのお酒
 ①雪鶴 純米吟醸生原酒 袋しぼり 29BY(新潟)
 ②和田龍登水 美山錦・生酒(長野)
 ③石鎚 純米大吟醸 槽搾り(愛媛)
 ⑤雪の茅舎 秘伝山廃 純米吟醸(秋田)
 ⑥ゆきの美人 純米吟醸 しぼりたて生(秋田)


 根知男山 純米吟醸(長野)
 二兎 純米吟醸 山田錦55(愛知)
 白露垂珠 純米吟醸 美山錦55(山形)

●軽快な生酛
 黒澤 生もと純米 直汲み生原酒(長野)
 仙禽 ナチュール アン(栃木)

●酸味と苦味の強い辛口タイプ
 此君 純米吟醸赤ラベル 無濾過生原酒 28BY(鳥取)

●透明感と華やかな香り、きれいな酸味のあるタイプ
 ①花陽浴 純米吟醸山田錦 瓶囲い無濾過生原酒(埼玉) 

 村祐 常盤 茜(新潟)
 山間 仕込み5号 特別純米 中取り かめ口 直詰め 無濾過生原酒(新潟)

●カシスの風味がするタイプ
 風の森 純米吟醸 しぼり華 愛山 28BY(奈良)
 風の森 山田錦 純米吟醸笊籬採り(奈良)
 風の森 山田錦 純米大吟醸 しぼり華 無濾過無加水生酒 2016BY(奈良)
 風の森 愛山 純米しぼり華 無濾過無加水生酒 奈良

●単体で飲むとそれほどでもないが料理と合わせると楽しいクセのあるお米の味を楽しめるタイプ
 出雲富士 純米吟醸 改良雄町 無濾過 生原酒(島根)

●夏酒
 ①乾坤一 純米吟醸 鈴風(宮城)→★殿堂入り
 ②白鴻 特別純米60緑ラベル 夏の純米生酒(広島)

 三千櫻 純米 美郷錦 低アル火入れ原酒 夏酒ver. 28BY(岐阜)
 富久長 海風土(シーフード) ブルー(広島)
 石鎚 夏吟 吟醸酒 (愛媛)
 石鎚 特別純米 夏純米(愛媛)
 天吹(あまぶき) 純米酒 超辛口 うるとらDRY(佐賀)
 乾坤一 特別純米Heaven&Earth(宮城)

※ 夏酒は当たり外れが多い。乾坤一の鈴風は昨年同様の美味しさ。今年初めて飲んだ中では白鴻が最もよかった。富久長 海風土(シーフード)ブルーは初日美味しかったが崩れが早かった。

※ 同じ蔵、同じブランドでも、米の種類や精米歩合、製法のちがいによって、味がかなり異なります。

〔未分類〕
一ノ蔵 ひめ膳(宮城)
花陽浴 純米大吟醸 さけ武蔵(埼玉)
村祐 本生(新潟)
村祐 特別純米 亀口取り 純米無濾過本生原酒(新潟)
十四代 本丸 新酒本生酒(山形)
結 番外編 おりがらみ生原酒 赤磐雄町(茨城)
東鶴 純米吟醸 さがの華 無濾過生(佐賀)
町田酒造 純米吟醸 雄町 直汲み 山田錦 火入れ(埼玉)
旭興 純米吟醸 生原酒 無加圧斗瓶取
白老 純米吟醸 千本錦 うすにごり生原酒 28BY(愛知)
仙介 特別純米(しぼりたて)無濾過生原酒 28BY(兵庫)
篠峯 純米 山田錦「遊々」無濾過生 7号 27BY(奈良)
萩の鶴 別撰 純米吟醸 生原酒(宮城)
仙介 純米大吟醸 無濾過生原酒(兵庫)
舞美人 2016年醸造(H27BY)山廃純米吟醸 無濾過生原酒(福井)
月不見の池 High-standard 藤ーlabel Recipe 2
山本 純米吟醸 潤黒 Pure Black(秋田)
町田酒造55 純米吟醸 雄町 28BY(群馬)
五橋 five ブルー 純米吟醸生(山口)
笑四季 特別純米 黒ラベル Sensation 3 (滋賀)
米鶴 米の力 純米亀の尾(山形)
龍力 特別純米 熟成雄町 1999年醸造 貯蔵ランク142号(兵庫)
謙信 純米吟醸 愛山 生酒(新潟)
津島屋 純米大吟醸 播州産山田錦無濾過生原酒(岐阜)
媛一会 山廃純米無濾過生原酒(愛媛)
楯野川 純米大吟醸 清流(山形)
楯野川 純米大吟醸 初槽(山形)
雪の茅舎 山廃純米(秋田)
豊醇無盡 たかちよ 扁平精米おりがらみ壱火入(新潟)
儀助 純米吟醸 無濾過生原酒 山田錦(奈良)
夢幻蔵元 純米吟醸 天上夢幻(宮城)
いずみ橋 夏ヤゴ にごり酒(純米) (神奈川)
墨廼江 特別純米(宮城)
一ノ蔵 すず音(宮城)
ささのくら 特別純米(宮城)
笹ノ陽(ささのはる)特別純米酒(宮城)
宮寒梅 純米大吟醸ササニシキ33(宮城)
戦勝政宗 特別純米(宮城)
花垣 米の雫 純米無濾過生原酒 亀の尾(福井)
鷹長 純米 菩提酛 生酒(奈良)
みむろ杉 純米吟醸(奈良)

 

付記2
今年最初につぶやいた曲。
Alan Walker - The Spectre

20180120 神楽坂「魚がしどまん中」で石中同窓生と飲む

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(プライバシーに配慮し小さめサイズで掲載しています。)

いきなり古い写真で恐縮です。ご覧のとおりの卒業アルバム。石巻中学校三年七組のものである。

今回の石中同窓会は、神楽坂(新宿区)の「魚がしどまん中」なるお店で1月20日午後5時30分より敢行された。参加者は11名。

写真は、オカ君が帰省の際にご実家で発見されたもの。複数コピーして参加者の皆さんに回覧できるようにしてくれた。

会の発祥に因み、あべさとこ先生担任の学級を巻頭に挙げてみた。

スタート時に各自簡単な近況報告。ユノメくんが石巻幼稚園のキク組との報告を聞き、私は自身が同幼稚園モモ組であったことを思い出し、転園してきたA原ミサオさんを見て可愛いと思い、わざと椅子を倒してひっくり返り気を引いたことをカミング・アウト。そういえばフルサワくんと毎日抗争を繰り広げていたっけ(?)。

女性陣はA馬さんやE藤さんとアツコさん。ドイベンとはお仕事の話、お子さんの話、アルバムを見ながらの思い出話に話を咲かせた。ちょっと体の体積が多くなったように見えるアキオくんはライザップ&リバウンド体験を報告。

皆さん楽しい思い出話もさることながら、現在の家庭の話題、お仕事の話題もありで、いろいろありますですね。お子さんのことや親御さんのこと、一筋縄ではいかない話題もありました。そういう話題を共有することも、同窓会の意義としてあってよいと思いました。

ガンジやアツコさん、ミキヤくんとはもう少しお話したかった。これは次回の楽しみに。特にミキヤくんは久しぶりで、相変わらず快活な話しぶりが心地よかった。

オカくんの持ってきたアルバム・コピーの中には石巻小学校の卒業アルバムも含まれていた。また中学のアルバムには部活ごと、委員会ごとの写真もあった。忘れていた顔、忘れていた名前が頭の片隅から何度も蘇った。みんな何をしているのだろう。またいつか会えるといいと思った。

新鮮な魚介が売りのお店の飲み放題タイムを終えると、お店の人がお父様の故郷か何かで石巻と縁のある人であることが分かり、奇遇を皆で驚く。写真中で店員さんとお話しているのはその場面である。

会は1次会終了後、カラオケ屋さんへ。われわれの中学卒業時の1975年当時のヒット曲を某ユノメくんが予約しまくり、それをみんなでリレーして歌う。私はなぜか炭坑節とジュリーを歌った。ガンジがオトミさんと携帯で連絡を取り、みんなと恒例のご挨拶。

実はこの日、直前に2名ほどインフルエンザで欠席となりました。皆様くれぐれもご自愛ください。(本日1月22日は雪も積もりました。足元にもご注意を。)

快い酔いとともに1月の夜は賑やかに更けていったのである。

 

 20180122 神楽坂で石中同窓生と飲む

 

 

付記1 いつも会の企画・盛り上げに尽力いただいているオッカ、アッコさん、ガンジに感謝である。 

付記2 2017年に見た映画ベスト4

1「リリィシュシュのすべて」(2001 日)…十代の生、性。脆さと強さ。永久保存。
2017年に見た映画の中では圧倒的に良かった。鮮烈で力強く残酷で醜悪。陰惨な部分があるので、「ソドムの市」を見られるような映画好き以外には勧められない。

「リリィシュシュのすべて」の画像検索結果

2「草原の輝き」(1961 米)
…正しいとはある価値観に従うことだが価値観は一つではない。永久保存。
若い男女の性欲の問題を正面から取り上げている。エリア・カザンの名作。ナタリー・ウッドもウォーレン・ビューティーも素晴らしい。

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3「ホテルニューハンプシャー」(1984 米)
… フロイトからの解放。性の価値観が変わりゆく時代のアメリカへのアンセム。永久保存。「草原の輝き」と対をなす。

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4「日の名残り」(1993 英)
…後悔のない人生はない。後悔は人生の苦味。英国の風景美。永久保存。
カズオ・イシグロ原作の映画。ノーベル賞受賞前に見て気に入っていた。実は年明けに「私を離さないで」も見たが、これも素晴らしく、私的に永久保存。

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<その他(ほぼ鑑賞順)>

・「7月4日に生まれて」(1989 米)
…ベトナム帰還兵(vietnam veteran)の本当の帰還(going back home)。価値観の喪失と再構築。オリバー・ストーンとトム・クルーズのベスト。

・「の・ようなもの」(1981 日)
…ひとつひとつのガラクタエピソードがラストで宝石に変わる。日本青春グラフィティ。永久保存。

・「ランブルフィッシュ」(1983 米)
…ランブル・フィッシュ(水槽の中で殺し合う魚)にはなるな。「カンバセーション」と同様「ゴッドファーザー」「黙示録」後に撮られた異形のコッポラ。モ永久保存。

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・「バーディ」 (1984 米)

…こういう出会いがあるから映画はやめられない。ラスト? 人間の生命力への讃歌。永久保存。

・「あの子を探して」(1999 中)
…貫く気持ちの強さ。人が人を大切にする理由は理屈では説明できない。永久保存。

・「インドシナ」 (1992 仏)
…すべてを失ってもただ一言で人は救われる。永久保存。

・「スノー・エンジェル」 (2007 米)
…救われぬ人により救われる人が在る。永久保存。

・「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014 仏)
…歴史の真実と触れるとは想像し感じることだ。原題は「Les heritiers 相続人」。

・「奇跡のシンフォニー」(2007 米)
…音楽のための映画。ストリート・教会での十代少年少女のパフォーマンスがいい。

・「甘い生活」(1960 伊)
…快楽を求める気持ちに素直である生が置き忘れた何か。きれいなお姐さんと思ったら「男と女」のアヌーク・エーメだった。

「甘い生活」(1960」の画像検索結果 「甘い生活」(1960」の画像検索結果

・「君の名は」(2016 日)

…出会えないものとの出会い。決して得られないものを得ようとする努力。田園風景の精彩感と東京の映像の現実感がドラマを生気ある、予感に満ちたものにした。

「君の名は」(2016」の画像検索結果

・「アルバート氏の人生」(2011 アイルランド) 

…女性であることを隠して男性として生きる人生における脅えと希望。

・「カンパイ 世界が恋する日本酒」(2016 日)
…京都の玉川の杜氏であるハーパー氏らを描いた日本酒国際化映像ルポルタージュ。

・「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999 独 米 仏 玖瑪)
…キューバ音楽の快楽。

・「リンカーン弁護士」(2011 米)
…無実を見抜けぬことを最も怖れる弁護士。

・「私は二歳」(1952 日)
…小津の「おはよう」以来の傑作邦画。こんなに遊んでいいんですか。

・「ミニヴァー夫人」(1942 米)
…戦時下でも明るさとユーモアを失わない強さ。

・「すてきな片想い」(1984 米)
…生涯ワースト1候補。

・「血槍富士 1955 日
…ベースは人情もの。封建制への皮肉。殺人のおぞましさ。羅生門や七人の侍の影響。

・「雪の轍」(2014 トルコ)
…正しさは時として傲慢となる。

・「マラソンマン」(1976 米)
…不条理感がいい。

・「ボーイソプラノ」(2014 米)
…東京サントリーホールがかれらの憧れ。

・「冬のライオン」(1986 英) 
…微妙なスケール感。

・「黒い罠」(1956 米)
…善の公正さ、悪の公正さ。

・「復讐するは我にあり」(1979 日)
…罪は贖えるのか。前半が陰惨。

・「最強のふたり」(2011 仏)
…境遇の異なる二人。フランスの移民社会が垣間見える。

・「サウルの息子」(2015 洪)
…ガス室の悲鳴。数万人の命より一人の死にこだわること。

・「ブラックスワン」(2010 米)
…バレエ舐めすぎ。

・「招かれざる客」(1967年 米) 
…人種差別的白人リベラリストの誠実。

・「海よりもまだ深く」(2016 日)
…まだ、もう少し、そう思っているうちに人は歳をとる。

・「デイジー」(2006 韓)
…はじめの30分はプラトニック・ロマンスとしていい雰囲気だった。

・「レスラー(2008 米)

…命より生き方が大事。

・「少女が大人に変わる夏」(2013 米)
…女性にとってやさしい男はどんなものか。

・「ドキュメンタリー THe real ボクシングで人生を変えた男」(2011 米)
…冤罪で棒に振った人生を取り戻す。

・「ウォール街」(1987 米)
…株式投資の勉強になる。

・「ツォツィ」(2005 英・南ア)
…継承される暴力の連鎖を断つもの。

・「恐怖のメロディー(1971 米)
…「白い肌の異常な夜」と同様イーストウッドが異常にもてて困る話。恐い。

・「ウォールストリート(2010 米)
…「続ウォール街」のグダグダPARTⅡ。

・「杉原千畝スギハラチウネ」(2015 日)
…自分が死ぬ時「自分はこれをしてきた」と思える人生。日本版シンドラーのリスト。

・「フランス組曲」(2014 仏) 
…ナチス占領下のフランスで書かれた平和への祈り。

・「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016 日)
…受動的な生の先にあるもの。

・「Love Letter」(1995 日)
…女子高生の悪戯が微笑ましい。

・「パルプ・フィクション」(1994 米)
…洋風戯作。訳の分からないことの面白さ。

・「野いちご(1957 典)
…老境での回顧、信念の揺らぎ。久々に見たが良かった。

 「野いちご(1957」の画像検索結果

 

付記3 最近つぶやいた曲

Anne-Marie - Then [Official Lyric Video]

20180206 生田の雲

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久々にジョギングをした。ついでに雲を撮影。 

午後4時半。

生田の空気は爽やかだった。

 

20180206 生田の雲

 

付記 
先日の記事に載せた曲のアコスティック・ヴァージョン。
Anne-Marie - Then [Live Acoustic]

 

追記(20180206 21:49)

Anne-Marie & Ed Sheeran - Ciao Adios [Acoustic]

歌詞日本語訳→およげ対訳くん

 

追記part2 (20180206 22:20)
頂きものの栗・銀杏・黒豆でごはんを作り美味しくいただいた。
うるち米1合もち米1合、塩、砂糖、しょうゆ、そばつゆ、酒、各テキトー。水は少な目がよい。
三つ葉とごま塩で風味アップ。ウメド~!

 

20180320 谷川俊太郎展に行ってきた。

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昨日、東京オペラシティ・アートギャラリーで「谷川俊太郎展」を見てきた。

石中同窓生でデザイナーであるトッシュロのお仲間が担当したお仕事ということで、1月の同窓会の際に招待状をいただいていたのだ。

谷川俊太郎は「かっぱかっぱらった」などが私には馴染み深い。

詩人の「~展」ということだが、特段のイメージもなく訪れた。

最初の展示が冒頭の写真である。
暗いスペースに複数のモニターが並び、そこに谷川自身の朗読と合わせて、文字が明滅する。音響とビジュアル、色彩と形、それらが詩に新たな彩りを与えている。

なかなかのインパクトである。

ブルーという色の選択。今思えば、海の底で詩を聴くような静謐のイメージ。

ちょっと異世界に迷い込んだような浮遊した感覚。

 

 

次のスペースは、詩人にまつわる品々の展示。海外生活時代の写真集、詩作ノート、収集したラジオや工具、彼が作詞した曲のレコード、書簡、Tシャツ、…etc

詩を作るのはパソコンで。これはキーパンチ、変換、推敲などをPC上で再現しているらしい。

 

面白いのは、このさほど広くないスペースでは観覧者が互いに気を遣いながら歩かなければならないということ。誰かが展示物の前で見ていると、その前を人は通れない。後ろにもあまりスペースがない。そうすると、他の展示物を見に行くことになる。観覧者は決まった動線をたどるのではなく、不規則なルートで会場を歩き回る。大海を回遊するように。そこには不自由さが生む自由さ、ランダム化されることの楽しさがある。谷川の詩を愛する人たちが、はじめは個々バラバラだったものが、シャッフルされて、交じり合い、溶け合う。

それは同時に、詩、あるいは、詩人を、複数の人間で味わう、そんな面白さでもある。

詩はふつう、一人で読む。その意味で、詩を読むことは孤独な行為だ。それを大勢の人間が交錯しながら味わう。そんな面白さがあった。この楽しみ方もいい。

 

 

次は、一篇の詩が壁に大きく映しだされ、それを仰ぎ見るようにして読むスペース。

詩はふつう本の活字を読むわけで、文字の大きさは1センチもないだろう。それがこのように壁一面に表示されると、詩の見え方が変わる。逆に言えば、ふだん私たちは詩を小さなもの、本の中に収まるようなサイズのもの、そんなイメージで見ていたのではないか。そんなことを思わされる。このように大きな文字で、壁一面に詩が広がっていると、詩って実はこんなに大きな、広々としたものだったんだ。そう思えてきた。そこで詩を読んでいると、何か心が伸び伸びしてくる。

空間の異化、詩の異化。なかなかに楽しい谷川俊太郎展であった。

同展は3月25日(日)まで行われている。残りわずかなので、ご興味ある方は是非。

最後に、トッシュロさん、面白い体験をさせてもらってありがとう。

 

 

20180320 谷川俊太郎展に行ってきた。

 

 

付記1
同じチケットで他に二つの展示を見ることができた。

一つは「東京オペラシティアートギャラリー収蔵品展 なつかしき 寺田コレクションより」。

二川幸夫の写真は日本の古来の民家が土地の風景とともに収められている。家の造りの工夫に実用性だけでない遊びや優雅さを感じ、昔の大工たちの人柄が偲ばれるようである。
芝康弘の絵画は、アニメと写真の中間のようなタッチに見える。主に自然の中で遊ぶ子供が描かれているが、ノスタルジーというより、子供というのは今でも自然の中に放りこめば喜々として遊ぶものなので、「なつかしさ」という枠にはめず、自然の中で暮らし遊ぶ子供たちの皮膚感、瑞々しい感性を感じながら見ていいのではと思った。

川瀬巴水の版画は浮世絵版画の「新版画」ということだが、おそらく明治から昭和中期にかけての風物を題材にしているのだろう。古い技法を持ち出して今何かを作っているという感じがしなくて、浮世絵という技法を使って、かつての風物を掬いとる、その掬い取り方に新鮮さを感じる。

 

もう一つは「宮本穂曇展」。絵画を見ていて、具象でも描かれているものが具体的に何であるのか判然としない場合には、何かその絵じたいが私に問いかけているように思うことがある。絵の中に画家が何を描いているのかよりも、その絵の中に私には何が見えるのかと、問いかけてられているように感じるのだ。この画家の絵も、最初に全体のイメージを感じ、その後に何か隠し絵を探すかのように、私の視覚の像の中に、私はいろいろなものを見たてる。しかしやがてそれに疲れると、私の視覚像の中に何かの姿が浮かび上がってくる。その驚きを楽しむことができる。そういう意味で想像力をかきたてられる絵であるといえよう。


付記2
東京オペラシティは、新宿区西新宿にある複合施設。最寄駅は京王線の初台だが、新宿駅からも徒歩15分ほどである。

付記3
平日午後4時入場だったが、けっこう人が入っていました。

付記4
一部を除き撮影可能ということで、その模様をカメラに収めた。

付記5
最近つぶやいていないが、気に入った曲。
Martin Garrix & Matisse & Sadko - Forever (Official Music Video)

20180331 生田の桜

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生田は駅名で、私の住むのは神奈川県川崎市多摩区三田である。

今年の桜は咲く時期が早いだけでなく、見ごろも早く過ぎたようである。花は咲いているのに若芽が出ている樹が多いため、薄桃色一色の姿はもうほとんど見られない。駅前の牡丹桜は数日前の三分咲きあたりで既に若芽が大半の枝に見えていた。

これは桜ではありません。

緑とピンクの桜模様を、そういうわけで今年は楽しんだ次第。

 

 

 20180331 生田の桜

 

 

付記

最近のお気に入り。

Jax Jones - Breathe (Official Video) ft. Ina Wroldsen


20180731-0801 川開き帰省 01― 激熱(暑)だった川開き祭り ―

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7月31日

今年も川開き帰省のため、神奈川県川崎市の自宅を午前7時40分に出発し、バスで生田駅に。小田急線の7時56分の準急に乗り、登戸で快速急行に乗り換えようとしたが混雑甚だしく大き目の荷物を持つ身でもあるので断念、そのまま準急に乗り、代々木上原で後続の快速急行に乗り換え、8時26分に新宿に到着。みどりの窓口で新幹線指定席券と乗車券を購入後、8時40分頃のJR中央線に乗って東京駅に8時55分頃到着。9時過ぎに新幹線ホームにたどり着き、喫煙所で一服してから9時08分発はやぶさ9号に乗り、東京駅を出発したのだった。

新宿駅で新幹線指定席券を購入の際に、窓際と通路側は売り切れており、それらに挟まれた席を購入したが、つながっている秋田新幹線は4列で窓際か通路側のどちらかになるので、この場合秋田新幹線を選択するのは「あり」だなと思った。まあ、もっと早めにチケットをとっておけばよかったのだが。

新幹線車内では映画の一本でも見ようと思っていたが、1時間半はネットで調べものをしているうちに過ぎ、10時40分仙台到着。S-PAL地下の風月堂で土産を買うと、いつもは食べる立ち食いソバ「萩小路」に寄る時間もなく、そのまま仙石線11時21分発各駅停車石巻行きに乗車。1時間26分かけて12時47分石巻に到着したのだった。

自宅最寄り駅生田からは9時27分発→新宿→大宮→仙台→石巻のルートで13時15分着、移動時間3時間48分で着くのだが、新宿駅での新幹線の切符購入、仙台駅での土産購入、その他寄り道が多くて(私の人生そのものが寄り道みたいなものだ)、どうしても5時間かかってしまう。それでも最近は、一応電車の時刻を計算に入れて寄り道するようにしている。数年前の小牛田駅180分待ち合わせ事件でさすがの私も学習したのだ。

石巻駅について最初に感じたのは「暑い」ということ。陽射しが異様にきつい。こんなに暑かったっけ、石巻? 東京あたりのコンクリートが熱を持って夜でも風が吹いてもオーブンで蒸し焼きにされているような暑さではないが、空気がきれいな分陽射しがダイレクト突き刺さるような暑さだ。

と、石巻駅を出ると、駅前広場の左側が少し空間が広くなっている。ロマン海遊21のビルがなくなって富喜寿司なるお店が建っていた。ロマン海遊がなるくなるのは聞いていたが、調べてみると石巻市役所本庁舎1階に移転して観光案内と物産販売は続けているそうだ。


ロマン海遊21(閉館しました)[石巻市役所HP]

このサイトの説明「石巻市本庁舎1階」はわかりにくい。「(石巻)市役所(本庁舎)1階」でいいのではないか。

それはともかく、駅前から立町方面へ歩くと、建物がなくなっているところが、駅前交差点の市役所側の角、立町から寿通りへ右折する角、寿通りから橋通りへ曲がる角と、だいぶある。橋通りは聞いたところでは共同ビルが建設中らしい。見たところ1階が店舗、2階以上が住宅になるようだ。来る度に新しい建物が増え、古い建物がなくなっていく。そうやって街は変わっていく。震災は街の変化を後押ししているだろう。いずれにしても物は変わっていくものなのだ。

実家の大文字屋に着く。例年通り1階の店頭ではお得意さん(楓楸栞=ふうしゅうかん:大街道)が店を出して飲み物などを売っている。私は2階にあがってキクちゃんに挨拶。仏壇の憲ちゃんに挨拶。見ると応接間に天ざるとカツカレー(おそらく大盛&もりやさんの出前)がある。自宅を出てから何も食べていなかったので、お腹は空いてはいたが、この後の予定を考えると過大な量なので、カツカレーは半分残したのだった。(後でキクちゃんが食べたらしい。)

一息ついて向かったのは小柳町の平塚君のおうち。お母さまがいらしたので、近況をうかがった。体はお元気のようですが、一人暮らしで訪れる人も少ないとのことで寂しがられていた。そういう話はなかなかできる相手がいない、姉妹の中で一番上だし、誤解も生みかねないから、自分から来てくれとは言えない、と、なかなかつらいところがあるようだ。実は一昨年訪れた際に緑内障を仙台の病院で手術して治してもらった話を平塚さんから聞いて、緑内障の手術をできる病院が石巻にはないこと、緑内障は初期であれば手術で治ることなどを知り、その半年後ぐらいにキクちゃんが緑内障を患い、平塚さんの話を思い出して、仙台の眼科に行かせた経緯があるので、そのお礼を申し上げた。平塚さん自身はもともとの眼底出血が再発しないように定期的に検査が必要なので、眼科通いは続けているらしいが、今のところ大丈夫なようである。キクちゃんについていえば、緑内障についてはだいぶ進んでいるので手術は難しく、眼圧が高いので点眼治療を続けて、眼圧の安定を見計らって白内障の手術を行えば、それが眼圧の低下もしくは安定に資する可能性があるので、それによって現在の視力の維持を図るという方向で進めている。右目の視力はほぼ失われ、左はある程度見えるが、視野の中心部分が見えず、周縁部分の視力で見ている。そういう状況である。平塚さんからはその他に、某大手携帯電話会社の営業マンが訪れた後に毎月7000円以上支払い請求が来て困ったという話もあった。固定電話しか使っていないし、契約した覚えがないので、拒否もしくは解約を要求すると、いわゆる何年シバリ契約の数万円の解約料を要求されたという。結局、市役所の困り事相談室のようなところに相談したら解決してくれたそうなので、ああ、こういうところでも情報は大事だなと思わせられたのである(市役所も生活保護関係はコワイらしいが)。平塚さん、諸情報あらためてありがとう。

1時間程で平塚さん宅を辞去し、知人に招かれてお寿司屋さんに行った。蛇田にある栄寿司さんである。この道五十年以上のシャイな大将と、柔和で温かみのある女将さん、息子さんも加わって切り盛りするお店である。(息子さんはつみれ汁のつみれの作り方が大将とちがう研究熱心なこだわり屋である。)立派なまな板皿に載せられた握りはネタもいいが、やはりシャリがいい。口の中でほろりと解(ほど)けるその加減が絶妙である。スーパーのパックの寿司を食い慣れた私の安い舌には、もうちょっとシャリに歯ごたえがほしいななどという寝言も出てしまいますが、こんなのは食べたことがないというようなタップリした身のほっき貝であるとか、鯨肉の握りとか、珍しい「きずわさ」なる巻物等々、非常に楽しめました。(「きずわさ」とは山葵(わさび)入りの干瓢(かんぴょう)巻のことで、ソムリエ田崎氏が日本酒によく合うといってテレビで紹介したらしいが、私に言わせると辛口すなわちドライなタイプの日本酒にどちらかというと合うのではないかと思いました。) ネタもたんに鮮度がいいというより、熟成度合いを見計らって握っているようで、しっとりした深みのある味でした。尚、このお店は有名人が来店したりの名店らしいが(キクちゃんも名前は知っていた)、大将も女将さんも全く気取ったところがなく、とても自然で寛げるお店でした。いやあ、ご馳走様でした。

さて、この日いつもなら平塚さん宅訪問後による四釜商店さんにお寿司屋さんの帰りに寄り、栗原市のお酒「田林」(でんりん)の特別純米を買い、大女将はお店に出てないけれど元気との話をお店の人から聞き、宜しくお伝えいただくようお願いして辞去した。

いったん大文字屋に寄り、それから再び祭りの夜に出かけた。元気市場のあたりに来たが、時間も7時半を過ぎ、慰霊祭が終わったばかりのようだった。会場も昨年までと違い、新しくできた立体駐車場脇の、広小路の昔守谷フルーツがあったあたりの広場になっていた。8時から「供養花火」が30分ほど続き、それが終わると、31日の川開き前夜祭は終わりである。今年は綱引大会も孫兵衛競漕も流燈も見ず、ご詠歌も聞くことがなかった。昨年まで31日の諸行事をカメラに収めるという課題を果たしたので、今年は少しゆっくりした感じである。それでもやはりご詠歌と流燈は忘れないようにしたいと思った。

実家にもどってキクちゃんとお寿司やお刺身を肴に「田林」を飲んだ。お寿司は栄寿司さんのおみやだが、「きずわさ」も「鉄火」も異様にネタ部分が多く、ご飯部分が少ないので驚く。四釜商店のお店の人によれば、田林は純米吟醸はしっかりした味、特別純米はすっきりした味、この蔵自体はもともとしっかりした味の酒が身上とのこと。私はこういう場合蔵の個性の出たものを買う主義だし、正直両方買いたかったが、同じ蔵のものを2本買う勇気がなく、亀の尾を使ったしっかり味の純吟も魅力的であるが、美山錦を使った綺麗な酸味がこの時の気分ではあったので、特純を選んだ。果たしてどちらが正解であったかどうかわからないが、田林の特別純米は美味しかった。この日は暑かったし、いろいろ食べてお腹がパンパンだったので、これで良かったと思う。因みにキクちゃんは、「んー、最近の日本酒は甘いのネ、飲みやすい」とおっしゃってました。

こうして7月31日は午前1時頃に就寝したのであった。

※ 「きずわさ」の「きず」とは「干瓢(かんぴょう)」のことで、「わさ」は「山葵(わさび)」の意であるとのこと。なぜ干瓢を「きず」というのかというと、かつての名産地が木津というところだったことによる。ただし調べてみると、この「木津」自体がどこなのか諸説あり、京都山城の木津なのか、摂津国(現在の大阪・兵庫)の木津なのか、近江国(現在の滋賀県)の木津なのか、はっきりしない。なお、現在は栃木県が主な産地であるらしい。調べてみて面白かったのは、この干瓢、「夕顔の果実をひも状に剥いて乾燥させたもの」であること。「夕顔」に果実があることも初耳だったし、そういう花の果実があの干瓢に姿を変えるというのは非常に面白かった。昔の人はすごいものを食べた、というか作ったんですね。

かんぴょう wikipedia

 

8月1日

この日は8時起床。快晴。中央3丁目のローソンでブレンドコーヒーSサイズ、トマトジュース、バニラヨーグルトを買い、朝食に。キクちゃんには「昨日食べ過ぎたし、今日はお昼は外で食べるから食事はいらないよ」と声をかける。実際そういうことを言っておかないと膨大な量の料理を用意され、私は残飯処理マシンと化してしまう恐れがあるのだ。その後、実家の2階全体を掃除機掛け。掃除機のフィルター交換とフィルター掃除。シャワー浴びて11時からのパレードに備える。

ちょっと一服しに元気市場近くの喫煙所に。すると見知らぬ若い男性が声をかけてくる。聞けばお祭り広場あたりに出店を出すのに東京から来ているという。こっちは涼しいと思ったらえらく暑いので驚いたという。昨日も昼間はあまり人が出なかったが、今日はどうだろうと心配している。暑いから昼間は出足は鈍いだろうが、花火目指して夜はどっと人が出るのじゃないかなと私。そんな言葉を交わしお互い「じゃあ」と言って別れた。

この日も前日同様の厳しい陽射し。大文字屋のほぼ正面にカメラをセットするが、逆光気味で撮影条件は厳しい。それでも11時数分前には、東京五輪パラ聖火誘致模擬トーチリレーが通過。ついにパレードがスタート。消防音楽隊パレード、石中吹奏楽部に続いて、各小学校の鼓笛隊が続く。今年も例年同様、腹に響く楽器の響き。力強い行進。見て聞いて、心地よい。今年も笑点の林家たい平師匠が参加。勇壮さのなかにユーモラスな沖縄のエイサー、縄張神社神輿。今年はここでブルーインパルスの特別展示飛行も同時に行われた。神輿なんかを撮ってるそばから頭上をブルーインパルスが通り過ぎていくので、たいへんなんだが絵的には面白いものが撮れたと思う。この日も陽射しは強烈だったが、紺青の空にブルーインパルスの描く軌跡は鮮やかだった。アイトピアあたりは神輿が通過したあたりで飛行展示が続いたので、実家の屋上にあがって、そのようすをしっかり見ることができた。虚空に浮かび滑るように進む銀色の機体を見ていると、何か非常に不思議な感覚を覚える。そうして見ていると、あちらこちらから、鳥たちがブルーインパルスの機影を追うように、空に舞い上がろう舞い上がろうとしているのが見えた。彼らには何に見えたのだろうか、仲間に見えたのだろうか。自分も高く飛びたくなったのだろうか。

少しパレードの時間が空いたので、あるお店に行くことに。それは「キッチン じゃがいも」さん。人づてに大街道のお店が閉まったと聞いていたが、帰省の数日前に復活したと聞いていた。閉店したのもショックでしたが、またお店を出したのも衝撃でした。どっちも「エーッ!!」(できれば濁点付き)という感じですね。それもよく聞くとアイトピアの大文字屋の斜向かい、以前初貝ミシンさんがあったところ。早速知人とともに行ってきました。お店に入ると、右手にカウンター席、左手に4~6人が座れるテーブル席が二つ。ママさんの小原さんの姿がカウンターの中に。顏を見て「あら、ひさしぶり。」と言ってくれた。小原さんは、私の小中高校時代の同級生である小原くんのお母さま。私が小学校時代には、もう一本川寄りの通りで、お父さまと「トリオ」というイタリアンレストランを出していた。大文字屋からも品物を入れていたので、家族で食べに行ったこともある。まだイタリアの藁で囲ったワインボトルの健在な時代で、トリオのテーブルには、そのワインボトルに太い蝋燭が立てられそれを補助照明にして雰囲気を出していた。そんなわけだから、今回の新規開店は昔の場所に戻ってきた感も個人的にはある。実は大街道の店には震災の年に行っている。その時には食材の調達がままならず、限られたメニューで営業していたが、本来はタラバガニのスパゲティが名物だったので、今回はメニューを見て、迷わずそれをオーダー。それとサラダとグラスワイン。タラバガニのスパゲティは、カニの身がどっさりのっているのもうれしいが、ソースにカニの旨味がしっかり感じられて非常に美味しい。これはなかなかないのではないか。知人はピザを頼んでいたので、あのパパさんデザインの石窯は使っているのかと聞くと、石窯は煙が出るので街中で使うのは難しいので、現在のお店では使っていないとのこと。でも相変わらずパリッとした焼き上がりで、今風のドテッと具がのったのとは異なるシンプルな美味しさは健在である。大街道のお店を閉めた理由はお聞きしなかったが、脊椎の圧迫骨折で動けなかった時期があるとおっしゃっていたので、そのあたりが関係するのもしれない。今回たまたま店舗の空きがあるという話をもらって、子供たちには反対されたが開店することにしたという。二人の給仕さんをやとっているので、体に無理をかけないよう工夫しながらやっておられるのだろう。食事だけでなく、ケーキセットやお茶だけというのも可能なので、アイトピアに貴重なお店が一つ加わったといえるだろう。それにしてもこんな美味しいパスタを食べられて大満足、ご馳走様でした。

※ 7月28日付石巻日日新聞には「60年ぶりに中央で営業再開」と紹介されていました。

 

さて、じゃがいもさんの店内から、「ものう はねこ踊り」が見える。じゃがいもさんを辞して立町方向に向かう。個人的にはパレードのクライマックスと思っている「はねこ踊り」。今年は例年以上に暑いので、踊り子さんたちたいへんんだろうなと思う。ただ、例年と少しちがうのは、今年は人数があまり多くない(ように見えた)ということと、なぜか男性が半分ぐらいいるということだ。扮装は女性のものと全く同じである。それでもこの暑さの中、今年もダナミック、エネルギッシュな踊りを見せてくれた。

はねこ踊りが終わるとあとは大漁踊り。お役所関係から会社関係、あらゆる団体組織が参加しての一大盆踊り大会はマンネリズムスの極致。これはオリンピックと同じで参加することに意義がある。そして踊る阿呆に見る阿呆で、踊る方が楽しいのだ。さしずめ私は撮る阿呆。

撮る阿呆が次に撮るのは19時30分からの花火である。今年はこれまでよりももう少し門脇方面で撮ってみようと思って、佐藤整形外科さんから100m程雲雀野寄りにポジションをとってみた。いざ花火が始まると、視野に工事用の重機が入ってしまうことに気づいて移動、さらに150m程南に行って、相沢泌尿器科医院のあるあたりで撮ることに。すると、これまでにない花火の美しさ。近年花火大会では煙が妨げになって花火がよく見えいないことが多く、ほぼ毎年のことだったので、私は正直諦めていた。ところが今年は煙で見えなくなることがほとんどない。鮮明に花火の姿を見ることができる。風向きによるのか、打ち上げ位置によるのか、撮影位置によるのか、いずれかは分からないが、とにかく今年の花火はよく見えた。だから動画でもよく写すことができた。ただ打ち上げ位置の正面過ぎて花火が画面に入りきらないことがあったけれど。私の見た感じだと、打ち上げ位置を少し海寄りに変えたのではないかと思えるが、来年以降もこういうきれいな花火を見られるといいなと思いながら、西城秀樹追悼のYMCA花火も打ち上げた今年の川開き花火大会を満喫したのである。

帰路、八幡屋さんの通り(松川横丁というようです)を撮影する。以前から本物と見紛う猫の置物で目を楽しませてくれたが、年々猫の数が増えてますます楽しくなっている。猫派の私にはうれしいことである。そういえば新幹線内に常備の「トランヴェール」誌8月号(メインテーマ「宮城は、マンガ・アニメの舞台装置だ!」)に「石ノ森萬画館」オープンに向けて尽力した八幡屋さんの女将阿部さんが登場、インタビューに応じていて、その中で「漫画だから何でもあり」という「漫画的発想」という言葉を作って精力的に活動したと語っていた。こちらの猫さんたちを見ていると、そういう「何でもあり」の発想の楽しさがよくわかるのである。

※ トランヴェールは翌月になると前月のバックナンバーがこちらで読めるようになっています。
トランヴェール[JR東日本]

 

大文字屋に戻ると10時過ぎ。昨夜のお寿司の残り、野田屋さんのかわりご飯とトン汁、枝豆、等々で再び腹がはち切れそうになり、昨夜の田林の残りをキクちゃんと飲んで、この晩も午前1時頃に就寝した。祭りの終わりに、新しい出会いと新しい再会の余韻を楽しみながら。

  


2018 川開き帰省01 パレード(動画)

2018 川開き帰省02 花火大会(動画)

 

2018 石巻 川開き 帰省 01(フォトチャンネル)

2018 石巻 川開き 帰省 02(フォトチャンネル)

 

付記1 最近のお気に入り

monalisa twins selected 

20180802 川開き帰省02 ― 8月2日朝の石巻 どんどん変化している―

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この日は6時半と例年に比べ少し遅めの起床。本当はもっと早起きした方が人も車も少なく撮影しやすく、日焼けの程度も少ないのだが、などと思いつつ寿通りに出ると、清掃ボランティアの中学生らしき集団が多数見られる。お疲れ様。橋通りへ曲がる角の建築現場は1,2階店舗、上層階が住宅の12階建てビルが建つようだ。

 

中央3丁目のローソンでブレンドコーヒーSサイズ、トマトジュース、バニラヨーグルトを購入。昨日までの祭りのために用意されていたらしきベンチで朝食をすませ、撮影に出発。

住吉にあるかつて望楼のあった山は愛宕山という。頂きにある小さな祠(ほこら)にも愛宕神社とある。このあたりから周囲を見下ろして気づくのは、川岸の堤防工事の進捗。かつて水押付近でよく見かけた景色が、今は住吉・中央でも普通になる。コンクリートの塊ではなく芝生が敷き詰められているので、味気無さは感じないが、それでもかつての水辺の近みを知る者には複雑な思いもある。

記憶の手帖・写真で見る古里(32) 住吉望楼[石巻かほく 2016.10.30 ]

歴史ガイド[石巻まちあるきマップ特別編]

石巻の中心市街地(商店街)の歴史について[石巻まちなか情報局]

 

内海橋方面に出ると新内海橋の姿が目に付く。かつての宮城交通バスターミナル付近から中瀬に寄らずに架橋される。中瀬には別に「新西内海橋」が中央との間に、さらに湊との間に「新東内海橋」が建設される予定である。これらは全て復興計画の一環であるが、駅から湊方面への動線と中瀬付近への観光の動線との役割のちがい、それと防災面での安全性の確保の意味あいもあるのだろう。いずれにしてもこれまでとはだいぶ景色が異なってくるようだ。

中瀬に架かる内海橋、石巻街道に直結するルートに架け替えへ[That's Life -Notes- 2012 .10 .08]

生まれ変わる内海橋(7・完) 復興のシンボル 中心街発展に期待[石巻かほく 2017.03.28]

一般国道398号内海橋橋梁災害復旧工事施工状況[宮城県 東部土木事務所 平成28年12月末]

元気市場のあたりにくると、風景のちがいがはっきりしてくる。市場の南側にはバスロータリー、その広小路側向かいには立体駐車場、元気市場と駐車場の間の道路は歩道を広く車道を狭くデザインし、観光客・地元民を問わず市場利用者の利便性が図られている。川岸には友福丸(居酒屋・海鮮料理)さんがかなりサイズアップした形で復活していた。そのうち行ってみたい。このあたりは複合施設Comichiのある松川横丁などともに魅力ある観光拠点となってほしいものだ。

元気市場の隣にビルが建築中で川開き祭り中も工事を行っていたので何だろうと思いながら見ていたが、「かわまち交流センター」というのだそうで、だいぶ急ぎの工事のようだ。なお元気市場の東側(川岸側)は数メートル埋め立てが進んでいる。これも堤防の一部となるはずだ。

 

佐藤整形外科から門脇方面へと歩く。堤防工事と下水道工事の工事現場が続く。このあたりは建物もまばらだが、比較的高さのある建築物は「津波避難ビル・津波避難タワー」に指定されている。この辺りは津波の襲来を考えると住宅地としての適否が問題になるが、その種の非常時に備えて避難所として活用する狙いは妥当だと思う。

津波避難ビル・津波避難タワー[石巻市役所HP]

ちなみにこちらは前晩に花火撮影をした場所。

 

こちら(↓)の説明図によると、堤防の下には樋管というものが通っている。「樋管」の「樋」は「雨樋(あまどい)」の「樋(とい)」だなと思いつつ調べてみると、樋管とは「用水流入や内水排除のため堤防を貫通して設置される暗渠(あんきょ:覆いがされて外から見えない水路)」のこと(weblio 河川用語解説集による)。堤防内外の水量調節の目的で設けられているようだ。

南浜に近くなると、堤防の大きなのが一部できあがっている。高さは7m超。やはりかなりの高さを感じる。

 

河口側を見ると、橋脚らしいものが。実は日和大橋の手前に橋が建設されている。「鎮守大橋」というらしい。湊と門脇のアクセス向上とともに緊急時は避難道路としのて機能も果たす。

旧北上川河口部、鎮守大橋が起工 非常時は避難道路に 石巻[2016.10.18 石巻かほく]

第5回旧北上川河口かわまちづくり検討会[平成29年6月末]

 

さらに行くとこじんまりとした公園が一つ。「まねき公園」という。園名の由来について案内板には次のようにある。

―「まねき」という言葉は、江戸時代に千石船が北上川に入港するときに航路を示した「まねき」という役職から出たものと考えられます。まねきの場所はこの公園のすぐ上の日和山の中腹にありました。北上川の河口は船にとっては難所で、数多くの船が川口で難船しています。また、震災後人口が少なったので人を招くという意味も兼ねています。[2018年3月 かどのわき町内会 (一部抜粋)]―

またこの公園は「平成27年に行われた『子どもたちが描くみんなの公園』ワークショップに参加した石巻市立門脇中学校1年生81名の復興への思いと提案を活かし、地区の街区公園とし整備されました。」と別の案内板にある。

その他、鎌倉時代に門脇に集落があったことを示す石碑が見られるなど、なかなか興味深い。

 

さて、この先に西光寺、そして昨年再建着工された称法寺が修復された姿を見せていた。震災以来手つかずで、破壊されたままの石門も修復されていた。喜ばしいことである。

昨年まではこういう状態でした。↓

 

この先、門脇小学校前には「かどのわき中央公園」が新設されていた。中央に避難用の築山、周囲に遊具や休憩所が配されている。南浜全体は「復興祈念公園」の整備区域とされ、平成29年3月着工、平成32年の完成を目指している。市民が主体となって考え、行動する「参加維持型管理運営」を構想しており、ボランティアを含む各種組織・団体が活動を行い、市は事務局を務める形となる。

石巻南浜津波復興祈念公園[東北国営公園事務所HP]

石巻南浜津波復興祈念公園整備事業 vol.01[槌音H29.11.1]

石巻南浜津波復興祈念公園整備事業 vol.02[槌音H30. 3. 1]
石巻市南浜地区復興祈念公園(仮称)基本構想(案)参考資料 平成26年2月]

 

公園の先には防潮堤の建設が進められているはずである。因みに世の中には「防潮堤net」なるサイトもあるようだ。

宮城県石巻市東浜地区防潮堤[防潮堤net]

 

いつも通り日和山に登り、鹿島御児神社前から海を一望。この日も晴れて好天である。芭蕉の句碑に挨拶し、中瀬を右に見ながら急坂を下り、石小から中央を通る。途中は相変わらず工事が多い。でもそれ以外に大きな変化は見られなかった。というより、変化しているものが多いので、小さな変化は変化と感じられなくなっているのだ。因みに中央では新しくなったばかりの魚長さんが店を仕舞うと聞いて、ちょっと残念に思った。それにしても変わっていくものと変わらないものがある。何がよいもので何がよくないものなのか、それは正直わからない。それでも、変わっていくこの街のあれこれを、当分横目で見ていこうと思う。

9時過ぎに実家に戻り、もう一度掃除機掛けをして、シャワーを浴び、キクちゃんと憲ちゃんに挨拶して、キクちゃんについては近影も撮って、実家を出発。中央3丁目のローソンで大きな荷物を宅急便発送しようとするが宅急便のわかる店員さんが不在、来たら来たらで対応が早くなく、結局25分ほどかかって発送完了。身軽になった状態で石巻駅に到着。11時52分発仙石東北ライン仙台行きに乗り、NEWDAYSで買ったソフトクリームをパクつきながら、灼熱だった石巻を後にしたのだった。今年も充実の日々だった。しばしの別れ。アディオス、石巻!!

 

 

2018 石巻 川開き 帰省 03 -8月2日の石巻 その1-

 

2018 石巻 川開き 帰省 04 -8月2日の石巻 その2-

 

2018 石巻 川開き 帰省 05 -8月2日の石巻 その3-

 

 

付記1 震災後の復興計画に関する議論と関連資料(主に中央、内海橋、中瀬関連)

川沿いを核とした中心市街地まちづくり計画案[コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会 平成25年12月]
石巻市まちなか再生計画[石巻市 平成27年7月]

新市街地のまちづくり(H30.5.1)[石巻市HP]

既成市街地のまちづくり(H30.5.1)[石巻市HP]

中瀬公園基本計画 power point[石巻市 平成28年3月]

中瀬公園基本計画[石巻市 平成28年3月]

中瀬公園基本計画(資料編)[石巻市 平成28年3月]

 

付記2 石巻の観光情報
来て見てけらいん! いしのまき[石巻観光協会HP]


付記3 その他、石巻の復興情報

震源地に最も近い街・宮城県石巻のシンボル【前編】最新鋭のトロール船と最新設備が整う魚市場、そして牡鹿半島のレガシー[EMIRA 2018年3月30日配信]

震源地に最も近い街・宮城県石巻のシンボル【後編】牡鹿半島の古民家再生や島全体が神域とされる金華山──それぞれにみなぎる復興のエネルギー[EMIRA 2018年4月2日配信]

 


付記4 今年4~7月のお気に入り

2018 april-july

 

 

20180802-04 川開き帰省 03―作並温泉に行ってきた―

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11時52分石巻発仙石東北ライン仙台行きは、定刻通り12:55に到着。

今回は珍しく温泉宿を事前に予約した。といっても数週間前だが。場所は作並温泉。時間的なもの、費用的なもの、その他諸々の条件を勘案したところ、「湯ノ原ホテル」という宿になった。あまり移動に時間と費用がかからないこと、夕食がバイキングではないこと、露天風呂があること、等々見ていくと、ここくらいしかなかった。

今回調べてみたわかったのだが、仙台から近場の温泉というのは鳴子などと比べてかなり料金が高い。これは都市に近いというのが大きいようだ。仙台から仙山線で作並駅まで40分前後、費用にして500円。秋田あたりの温泉まで行くと交通費だけで片道1万円(仙台からで)を見る必要があるから、作並あたりだったら交通費がかからず来られるのだからこれぐらい出して当然というところなのか。宿の住所自体は仙台市内なので物価もそれなりに高いのだろうか。また、秘湯を目指すマニアや湯治客ではなく、家族や会社などのグループ客がターゲットになっていることもあるのかもしれない。

大きかったの夕食がバイキングではないこと。夕食ぐらいはきちんとお膳で落ち着いて食べたい。それでないと温泉に来た気分になれない。夕食の内容は質素でかまわないし、部屋食である必要はないが、夕食がバイキングはNGである。(朝食バイキングはOKだけど。)そういう意味で夕食はバイキングという宿が多いのは意外だった(ブッフェという言い方をしているところが多いが、ブッフェの元の意味は立食である。耐えられません!(涙…)。人件費節約のためなのだろう。温泉宿もなかなかたいへんだ。

などと思いながら、宿を選んだのだが、チェックインの時間が15:00以降、仙山線の15:00の列車に乗るつもりだったので、2時間程時間がある。まずは駅地下「ケヤキ」さんで日本酒4合瓶を一本買い、次に駅とつながっているAER(アエル)というビル内にある高島屋で本を一冊購入、このビルのアトリウムで時間を過ごす。昨年はこの時間に泊まる宿をネットで探していて、なかなか見つからずヒヤヒヤしていたので、今年は落ち着けていいなあと思ったのである。

さて、仙山線15:00発仙台発山形行きに乗車。仙山線に乗るのは小学生時代、大文字屋の慰安旅行で山寺に行った時以来だ。あの時どこに泊まったかもう覚えていないが、山寺の風景は強く印象に残っている。何か浮き世離れした山上の聖地のような雰囲気を子供ながらに感じた。今回はその手前の作並駅で下車。事前に予約していた宿の送迎の車が待ち構えていたので、駅の周りを撮影する間もなく宿に向かう。運転手さんは宿のことを説明してくれたりして人の心をそらさない接客。5分程で到着すると、宿帳に記帳、部屋に到着。宿の人が部屋まで荷物を運んでくれたり、宿の説明をしてくれたりするのも、さりげない感じでいい。

さあ、まずはお風呂である。ここは1階に大理石風呂、4階に展望大浴場と露天風呂。4階は10時までしか利用できないとの由なので、まずは4階へ。大浴場は清潔感があり、ゆったりできる。露天風呂は山の緑と空の青を眺められてリラックスできる。どちらもお湯の温度がほどよく、いくらでも入っていられる。泉質は単純泉で美人の湯といわれる肌によいお湯なので、3日間強い陽に当たり続けて赤くなった肌にはなかなかうれしい。たまたま客は私一人だったのでどちらも貸切状態で楽しめた。 

夕食。通常私は温泉宿を予約する時には「食事は一番安いのでいいです」というのだが、というのも、私が温泉に泊まる理由は疲れを癒しに行くためであって、食べるためではないからだ。料理が重いと胃腸に負担がかかって癒し効果が減殺される。宿側からすればありがたくない客なわけだが、今回は事前予約をする際に残っているプランが少なかったこともあって、普段に比べれば高めの1泊17000円のプランで予約したのである。ただし、あまり食事には期待はしていなかった。こういう宿で気合いを入れて出す料理というと、ゴテゴテした宴会料理だったり、別にここでなくとも食べられる料理であることが多いからだ。そんな先入観で迎えた夕食であった。

夕食は夕食会場でとるのだが、テーブル間に距離があり、簡単な仕切りがなされて、ジャズィにアレンジしたオールディ-ズポップスのインストゥルメンタル音楽が流れ、落ち着いた雰囲気。出される料理は和食の先付から始まり、前菜、お造り、スープ、鍋料理、魚料理、口直しのフルーツ菓子、肉料理、ご飯と香の物とお吸い物、デザート。

何気なく食べ始めたのだが、なかなか美味しい。刺身などは珍しくないので何となく食べていたのだが、南瓜のスープあたりからこの美味しさがただならぬものであると感じ始める。米沢豚も珍しいなと思う。米沢といえば「米沢牛」のイメージがあるからだが、食べてみると野性味ある肉の味と仙台味噌の勝気な味が喧嘩し合ってなかなか面白い。次に「やまめのサラマンドル」。メニューには書いていないが、バターソースを後掛けする。軽く焼いたやまめの身は思いの外味に厚みがあり、バターソースがそれをふくらませている。川魚をこんなに美味しく食べたのは生まれて初めてかもしれない。そして「山形牛とフォアグラ」である。山形牛ステーキ3枚の間にフォアグラのソテー1枚を挟み、イチジクのコンポートを使ったソースがかけてある。これは美味い!! フォアグラはそれほど美味しいと思わないが、料理全体が肉の旨味とジューシーさを引き出している。この後栗原産のご飯、デザートにパウンドケーキと季節の果物。間然とするところなき料理コースにちょっと感動すら覚えたのだった。一つ一つの料理の量は多くないが、それぞれが美味しいので満足感が高い。また、考えてみれば、このようなメニュー構成は、ふつうのフレンチレストランでは組めず、ホテルや旅館だからこそ可能といえる。そこも面白いなと思った。ジャンルにとらわれない料理の楽しみ。聞けば、ここのホテルの料理長は元フランチレストランのシェフ。フレンチ以外の料理経験も重ねてこちらのホテルに入ったとのこと。地場の食材を生かしつつ、創意工夫で客の舌を楽しませる。創る側のそんな喜びも感じられる料理だった。

この晩のメニューの詳細は次の通りである。

 先付け…帆立のラビオリ仕立て
 前菜…ウザク、蓴菜の真丈、糸掛け抹茶餡、稚鮎山椒煮、青菜きぬた巻
 お造里…鮪中トロ、平目、勘八、海老、ホッキ
 スープ…南瓜の冷製スープ
 鍋料理…米澤一番豚 仙台味噌仕立て
 お魚料理…岩手県遠野産やまめのサラマンドル
 お口直し…フレッシュオレンジとグランンマニエルのグラニテ
 お肉料理…山形牛ロースのステーキ エスカロップフォアグラのソテー

 お食事…宮城県栗原産ご飯、香の物、お吸い物
 デザート…パウンドケーキとフリュイセゾン    

  ※ウザク…うなぎの蒲焼きを細かく切り、薄く刻んで塩もみしたきゅうりとともに三杯酢や甘酢で和えた料理。
  ※真丈…魚肉、鶏肉、海老の肉などをすり潰し、山芋や卵白などのつなぎを加えて成型した練り物のこと。蒸す、茹でる、揚げるなどの加熱調理を経て、吸い物の実やおでんの具などとして供される。
  ※サラマンドル…上火だけの開放型オーブン。焼き色をつけるために使われる。
  ※グランマニエル…フランスのオレンジ・リキュール(オレンジ・キュラソー)の一銘柄。
  ※グラニテ…シャーベット状の氷菓。コース料理で口直しに出される。
  ※エスカロップ…肉などを1cm前後の厚さに切り分けた状態。フランス料理では厚さにより呼び方が異なる。
  ※フリュイセゾン…季節の果物。

さて、夕食の話はこれで終わりではない。このホテル、私の好きな日本酒をかなり取り揃えているらしい。予約した後に知って、楽しみにしていたのだが、その日のおすすめメニューに加え、飲み物メニューがあって、宮城、東北を中心に全国の銘酒が20種類ほどあった。とりあえず1杯めは「十四代」(90ml,1000円)。瓶を見せてもらったら生詰吟醸だったと思うが(記憶が不確か)、それほど美味しくはなかった。一升瓶に残り少なかったので、開栓後時間がたって香りが抜けていたようだ。外飲みではよくあることである。2杯目は「ほでなす」というお酒(グラス,800円)。栗原市の門傳(もんでん)酒造という蔵が造っていて、後で調べると市外にあまり出回らない稀少酒らしい。その夏酒である。飲んでみた。ジューシーで軽い発泡感があり、それでいて米の豊かな旨味を感じさせ、それでいて後口が引き締まって爽やか。これは美味しい。この晩はもうひとつ、飲んだことないものを一つ飲んだが、何か思い出せない。思い出したら追記しようと思う。

18:00からの夕食は食べ終わるまで1時間半以上かかり、もう一つの露天風呂(1F)に入りたかったので、何とか食事を切り上げてお風呂に駆け付けた。

こちらの露天風呂、記事冒頭の写真がその湯舟であるが、屋根があるので正確には半露天ということになる。広くはないが落ち着いて入れる。湯の温度が適度で、いつまでも入っていたくなる。いいお風呂だった。

この夜は早起きしたこともあるうえ、美味しい料理と美味しいお酒と良いお風呂を堪能し、すっかりお眠りモードになっていた。ケヤキで買った日本酒を開けることなく床に就いたのであった。

二日目、前夜の夕食に驚かされたので、食事会場にカメラを持ち込む。(前夜の夕食でカメラを忘れたのを後悔。)朝食はメニュー自体は目新しくないものの、豆腐が出来立てのものであるとか、客が着席してから固形燃料に火を入れてサケのキノコバター焼きやみそ汁を温かい状態で食せるようにしてあるとか、メニューの活字には表れない気くばりがしてあり、一味も二味も違うものになっていた。(強いていえば納豆はいらないかな。納豆は好きだが、非日常の旅先で食べたくはない。)

この日は昼間は、読書をしたり睡眠したり風呂に入ったりとゴロゴロしていた。できるだけ寝たいのだが、貧乏性なので、せっかく泊まった宿なのだから、いろいろ味わわなくては損だと思い、どうしても起きて何かをしてしまうのだった。もっとも、さすがに3日間歩きまくったので、今日一日はダググダしようと思ったのだった。(因みに宿の周りは散策するようなところもないらしい。だから、宿でゆっくりしたい向きにはお薦めなのだ。)

この日は夕方まで1Fの露天風呂、大理石風呂に入った。そしてまた夕食である。この日のメニューは次の通り。

 先付け…ノルウェーサーモンのマリネ アネット風味
 前菜…ガゼうにのロワイヤル
 お造里…鮪中トロ、イカ、勘八、海老、帆立
 スープ…ワタリガニのビスク
 鍋料理…カニ鍋
 お魚料理…鯛のポワレ 小松菜のブールブランソース
 お口直し…季節のシャーベット
 お肉料理…仔羊のTボーンステーキ
 お食事…宮城県栗原産ご飯、香の物、お吸い物
 デザート…フルーツサバイヨン焼き  

  ※アネット…ハーブ(香草)の一種。ディルとも呼ばれる。  
  ※ガゼうに…ウニのワタを取り、殻付のまま売るもの。身だけを木箱に詰めたものを箱ウニという。
  ※ロワイヤル…卵とブイヨンを合わせて蒸し、卵豆腐のように固めたもの。 
  ※ビスク…クリームベースの滑らかで濃厚な味わいのフランスのスープ。
  ※ブールブランソース…白ワインとたっぷりのバターを使って白く仕上げたコクのあるソース。直訳すると「白いバターのソース」。

この日は先付、前菜からかなり迫力があった。ノルウェーサーモン、ガゼうに。カニ鍋はすっきりとした上品な味。ワタリガニのス-プは蟹の匂いを臭みととるか野趣ととるか。美味しいというには何か一つ足りない気がした。

そして鯛のポワレ。小松菜のソースの色あいと味わいが絶妙。ソースは色鮮やかだが味は出しゃばらず、ほのかで爽やかな甘旨苦味で鯛の身の味を引き立てている。料理としてとても面白い。

仔羊のステーキは骨から肉をはがすのがたいへんで、味も今一つ出ていなかったかな。それでもデザートまでこの夜もとても楽しめました。この夜飲んだ日本酒は、而今(じこん、三重)、有加藤(あり・かとう、純米大吟醸,山形)、太閤(たいこう、純米、宮城)。太閤は昨晩の「ほでなす」と同じ蔵の酒で、旨味があり、まずまず美味しかった。而今と有加藤についてはあまり記憶にありません。而今の硬質な味わいは少し感じたかな。日本酒は温度管理がよくできており、一杯ごとに器を替え、その選択の仕方にもお酒の味を活かす工夫が感じられた。私はいちいち瓶をテーブルまで持ってこさせたので、仲居さんにはずいぶんお手間をおかけましたが、おかげで十分楽しめました。ありがとう。

この夜は食後に館内撮影。

レトロな調度の中には昭和なジュークボックスも。その時は写真を撮って通り過ぎたが、後で見ると聴いてみればよかった。ちゃんと動くのだろうか。

因みにこのあたりの曲がいい。

Mr. サマータイム   サーカス

 

ヘドバとダビデHEDVA & DAVID/ナオミの夢Ani Holem Al Naomi — 日本語盤(1971年)

 

プリーズ・ミスター・ポストマン カーペンターズ 1974

 

この後露天風呂に入る。月は見えなかったが星を見ながら作並の湯を楽しむ。

部屋に戻り、ケヤキで買った日本酒「真鶴 純米吟醸無濾過生原酒 隠し酒(夏の生原酒)」(加美郡加美町,精米:55%,alc:19-17度,製造年月:30.07 製造者:田中酒造)を開けて飲む。無濾過生原酒ならではのフレッシュ・ジューシーさを味わえて満足。でも、今回の帰省で一番はなんといっても「ほでなす」です。「ほでなす」になりながら、旅の最後の夜は更けていったのであった。

8月4日朝。この日も美味しい朝食を食し、大理石風呂に入ってから腰のブルブルマッサージャーで凝りをほぐし、使わなかった500円券とコーヒー券をフロントに返却し、美味しい食事と心地よいお風呂を味わったことを伝えてチェックアウト。玄関先で建物を撮ろうとしたら、SDカードがメモリー切れ。送迎の車を待たせていたので、撮影を諦めて作並駅へ。駅に着いてからSDカードを交換。駅の周辺を撮影。この日もよく晴れて、旅日和。

 

それでも私にとっては旅の終わりの日。10時22分作並発仙台行きに乗り、13時30分仙台発こまち18号(往路を反省してはやぶさを回避)に乗って家路についたのだった。なお、仙台駅の乗り換え時間にランチをした「みのりカフェ」は、ゆったり座ることができ、料理も美味しい、なかなか使えるお店であった。さまざまな美味しいものに出会えた、お腹いっぱいの旅であった。たぶん3kgぐらい太った(笑。

 

 

付記1

湯ノ原ホテルは、建物は古いがしっかりしており、掃除は行き届いていて清潔感がある。部屋の風呂は風呂トイレ別(私が泊まったのは比較的新しい西館で、旧館は条件が異なるかもしれない)。適度に距離をとったサービスが心地よい。サービス満点とはまではいかないが、その心がけを感じる点はとても気持ちがいい。かけ流しでない点は温泉フリークには不満だが、料理の素晴しさはそれを補って余りある。食事以外で評価4レベル(五段階で)以上の安心感を持たせ、そのうえで食事に特化した宿といえるかもしれない。夕食は早めの時間設定にしてゆっくりとった方がよい。私は日本酒を追加オーダーしたので、2時間くらいかけてちょうどよいように感じた。

付記2

「ヤマメ」は最初見た時は「イワナ」だと思った。後でメニューを見て「ヤマメ」と知ったのだが、イワナとヤマメは姿は似ているが味の特徴はけっこう異なっていて、ヤマメはほんのり甘味があり、イワナはやや癖のある味だそうだ。いずれにしてもこのヤマメは美味かった。

付記3

フラッシュモブはあまりプロっぽくない方が好感がもてる。

※フラッシュモブ(英: flash mob)とは、インターネット上や口コミで呼びかけた不特定多数の人々が申し合わせ、雑踏の中の歩行者を装って通りすがり、公共の場に集まり前触れなく突如としてパフォーマンス(ダンスや演奏など)を行って、周囲の関心を引いたのち解散する行為。…wikipediaによる。

フラッシュモブ by 宮城教育大学交響楽団

 

付記4

夏の終わりに。

山下 達郎 さよなら夏の日

 

20181019 こんな日は、Alan Walker

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冴えない天気のせいか、美味しいお酒に出会えないせいか、メランコリックな気分であった。不図、心の中に Alan Walker が響いた。元気が出るわけでも、癒されるわけでもないが、何か今日の気分に合っていた。
そういうわけで再生リストを作ってみた。
今日はただそれだけだった。

Alan Walker

 

付記1 再生リストは20曲以上あり、全部で2時間以上ある。よろしければ環境音楽にお使いください。

付記2 上の写真は今月はじめの国立新美術館。ちょっと芸術してきた。港区六本木にあり、近くの乃木坂にある乃木希典邸と乃木神社もちょっと見てきた。

(↑クリックして拡大できます。)

 

 

20181117 石中同窓生と「宮城漁師酒場 魚谷屋」で飲んだ

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今年もやってきた石中同窓会。今回は中野駅前にある「魚谷屋」さんで開催。

中野は20代ほとんどまるまる過ごした地であり、懐かしいことこの上ない。この日は時間があったので、お店に行く前に駅前付近を撮影してきた。

 中野駅南口を出て左に100mほど進んだところにある会場に近づくと、お店の前にはすでに数人の人影。お店がまだ開いていないので、たむろしている。

オカくんとアキオくんの姿が。うーむ、大きい。昨年見た時もそう感じたが、今回もっと大きく見えた。何か全体に膨張しているような。もしかしたら背も伸びているんではないか、まだ成長期なんではないか、と思った。本人たち曰く、「ストレス太り」(オカくん)、「10キロ減った」(アキオくん)。まあ、太れるということは体力がある証拠なので、よいことだ。それと、やはり小中学校時代のイメージというものがあって、ガンジなどは元々大きいイメージがあるが、オカくんやアキオくんはほっそりしたイメージがあるので、何か今の姿を見ると、ギャップで実際以上に巨大化したように見えるのだ。

ケヅカくんは、今年も大街道もり眼科医院さんで「視覚障害者のためのチャリティーコンサート」を行ったと聞いていたので、お疲れ様と声をかけた。この催しは20年ほど続いているとのことで、いつか私も行ってみたいものである。

この日のメンバーは、さらにトッシュロ、ガンジ。少し遅れて ボデヒとノメユくんも合流した。

 

17時にお店が開き、店内に入ると、ガンジとケヅカくんの間で何かのやりとりが。見ると、「ウルトラQ」のDVDボックスセットがガンジからケヅカくんの手に。ガンジがケヅカくんに借りたらしい。それでウルトラQの話に。私はケムール人が夜の暗い東京の街を大股で飛ぶように疾走するシーンがたまらなく怖かったとか、ラゴンの赤ちゃんの映像が原始的な合成技術ゆえに気持ち悪さ倍増だったとか、そんな話をした。(リアルタイムで見ていたのは小学校1、2年だったと思うが、何年か前にNHKBSでウルトラシリーズをまとめて放映した際に録画して見ており、その時の感想も混じっている。)

ガンジは、ラゴンの着ぐるみに入っているのはウルトラセブンのアマギ隊員役の人であると教えてくれた。この人がウルトラマンの中に入っていることは知っていたが、ラゴンの中に入っていたとは初耳だった。ガンジはそれ以外にも、一話一話のストーリー展開をよく覚えていて、あまりに詳しいのでそのこと自体に驚いてしまいました。いや、凄いですね。

会場になった「魚谷屋」さん。「宮城漁師酒場」とある通り、宮城県の漁師さんたち直営のお店である。

漁師集団「フィッシャーマンジャパン」に参加する宮城の漁師さんたちが、クラウドファンディングで調達した資金を元に開店したらしい。その経緯は下記を見てもらうとして、宮城の海の幸が新鮮なままふんだんに味わえる。もちろん私の好きな日本酒も豊富に取り揃えている。宮城出身の魚好き酒好きにはたまらないお店である。産直の直売店もあり、フィッシャーマンジャパンのネット販売でもこのフィッシャーマンたちの獲物が購入できる。

宮城漁師酒場 魚谷屋

フィッシャーマンジャパン

 お通しは海藻のサラダ。海藻の種類は聞いたことのない名前(アカモクだったかな)。刺身の盛り合わせにも知らない名前の魚があり、宮城に住んでいても知らない食べものもあるのだなと思う。ほっけの焼き物はホクホクで美味い。ビール、ハイボール、日本酒などを飲む。日本酒は何を飲んだかあまり覚えていないが、日高見や萩の鶴などを2合で頼んでみんなでお猪口で分けて味見した。メニューにあった乾坤一の「愛国」(酒米の名前)も興味をそそった。

トッシュロはすでに何度か訪れているお店だそうで、この日も開店直後から続々と席が埋まる盛況ぶり。中野の駅近で、オフィスも住宅も多いから、宮城出身者は来るでしょうね。この日は同窓会での利用で、お店の真価を十分味わえるところまでいかなかったので、またの機会にいろいろ試してみたいと思う。

話題はそれぞれのお仕事や進路、サトコ先生のこと、ガンジたちが必殺からくり人以外にも毎年度ドラマを制作していたこと、小中学生時代の同級生のこと、しょんつぁんのこと、中野のこと等々。

ガンジたちのドラマ制作は、必殺からくり人などのように、今それを聴くことによって、ウン十年間前の自分たちの姿に触れることができる。その意味でとても貴重なものだ。自分たちの過去の、若きあるいは幼き時代の姿に、年を重ねてから触れるというのは、何とも不思議な気分であり、そして何とも言いようのない愛おしさを感じる。

「しょんつぁん」は私たちが小学校低学年時ぐらいに、石巻の街中に出没した人物である。年齢は三十代ぐらい、坊主頭で、作業着のような服を着て、廃材となった木の棒切れを集め歩いていた。足が不自由らしく、両足が極端なX脚で、腰をかがめながら歩いていた。いつも口が半開きで、ちょっと狂暴そうにも見えた。私たちはしょんつぁんが現れると、「しょんず、しょんず」などと言いながら石を投げたりしたのだ。今考えるととんでもないことをしていたのだが、そのころは集団心理も手伝ってか、そんなことをしていた。「しょんつぁん」には「名前はしょうじ」とか、「ショウイチというお兄さんがいる」とか、「足が悪いのは親に自宅近くの崖から突き落とされたから」(石巻駅から中嶋外科の方向に登った突き当りにかつて採石場のようなところがあり、急な崖になっていた)とかといった真偽確からざる話もあり、ボデヒも「聞いたことがある」と言っていた。私はしょんつぁんのお兄さんらしき人がパチンコ屋によく出入りしているのを見かけた記憶がある。たぶん大町ホールだろう(ホシノの向かい)。

「牛友チェーン」の名前が出たのはユノメくんからだろうか。中野には昔「牛友(ぎゅうゆう)チェーン」という牛丼・カレーのお店があり、その量の多さは、若い時分にお腹を空かせた私たちとしては、大変重宝するお店であった。場所は中野駅南口を出て正面に見えるビルの4階あたりで、現在1階に三井住友銀行が入っているビルのあたりにあった。現在お店はなく、ビル自体も建て替わっているのではないか。学生時代に鰐陵(石巻高校)柔道部の後輩の鈴木くん(大食漢)がアパートに遊びに来て、私の自家製ラム肉カレーをたらふく食べた後、帰りにこの牛友チェーンの大盛牛肉カレー(大盛カレーに牛丼用の具をのせたもの)を食べようとして失敗したのを思い出す。

あこがれの女の子たち(?)の話などもしながら、私たちは宮城の美味に舌鼓を打ったのである。

*    *    *    *

魚谷屋さんを出ると、2軒目を探す旅に。北口のサンモールの一本東の飲み屋街を歩く。かつての職場があったところということでオカくんに店探しを一任。なぜかエイティーズ('80年代)酒場のようなところをあたるが、あいにく満席。結局カラオケ屋さんに。その間、飲み屋街を歩いたが、私にとってはなかなか懐かしく楽しい散策だった。写真をもっと撮っておけばよかった。

カラオケ屋さんでは、はじめそれぞれ思い思いに歌っていたのだが、ユノメくんオカくんが懐かしの邦楽1番のみシリーズということで、60年代から80年代の曲を次々にリクエスト。歌謡曲、フォーク、ニューミュージックの名曲を、いきなり指名で歌ったのだ。

「花嫁」「大都会」「22歳の別れ」「心の旅」「あの日に帰りたい」etc...

 

「木綿のハンカチーフ」にボデヒが「東京に出るとほんとにこんなふうに染まんのがなとそん時思ったな」と呟いた。

いろいろな曲を聴いていて感じたのは、あの頃これらの曲を書いた人たちは10代、20代の若者。その彼らがなにゆえにこれほどまでに「別れ」や「死」について考え、そして深みのある詩や曲を書いたのだろうか。書くことができたのだろうか。後日その話をしていて、ある人が「若い人は敏感なのだ」というようなことを言った。同感だった。そして「若いからこそ、そういうことについて考えるエネルギーを持ち得るのだ」とも思った。そして、そういう曲を若くして作った当人たちは、自分の曲を年を重ねてから聴いてどう感じるのだろうか、とも思った。少なくとも私にとって、名曲は古びることなく、名曲のままだ。それは単に懐かしさを感じる以上のものだ。年月に洗われて、光を増すもの、聴きこまれることによって底にある色や光が表に出てくるものある。漆器のように。そういう曲の一つがこれである。

スカボローフェア【訳詞付】 - Simon & Garfunkel

 

ちなみに三善英史の「雨」や藤正樹の「忍ぶ雨」といった、歌以上にキャラが印象的な曲も登場。残念ながら藤正樹の「紫の学生服」はカラオケ映像では見ることができなかった。(今のカラオケでは、本人登場映像使用の曲などを探して選択したり、その種のものだけを続けてリクエストしたりできるらしい。)

おそらく石巻時代だけではなく、自らの20代も振り返りながらのカラオケタイムになった。今宵も楽しい時間をありがとう。

 

20181117 石中同窓生と「宮城漁師酒場 魚谷屋」で飲んだ

 

 


付記1
私が上京後に最初に住んだのは、新宿区原町3丁目。東京女子医大や、昔のフジテレビのあるあたり。夏目漱石の生家のある牛込も近い。そこの4畳半のアパートが、住んで3カ月で取り壊しになり、中野に引っ越した。最初は中野1丁目のJR中央線の線路沿いの6畳間。2階だったがウナギの寝床ののような細長い部屋で、窓の外がすぐ線路。毎朝4時半から電車が行き交い、当時は少し面白がって住んでいた。遊びにくる友人も電車の中から声をかけてくることもあった。その後中野3丁目の丸井の裏手に引っ越した。

付記2
中野のシンボルである中野サンプラザであるが、来年取り壊され建て替えられるらしい。ミュージシャンからは音響面の優秀さから建て替え反対の声も出ているそうだ。この三角形の形は日照権の問題かららしいが、建て替えられるにしても、今の姿を保ってほしい気がする。


付記3
私としては「ラーメン・カレーのタブチ」も「牛友チェーン」に劣らず気になるところだが、後で調べてみると、2014年頃閉店しているようだ。こちらは駅のそばの「丸井」の手前の横路を登ってすぐの左手のビルの2階にあった定食屋で、東京のまずい飯を堪能できるお店だった。といっても「まず旨」一歩手前だったが。

そういえば「とんかつ富士」もなくなっていた。

店内が異様に暗くて狭く、常にクラシック音楽をかけていて、オヒヤのグラスがワンカップ大関の空き瓶、コーヒーミルクを入れる器がマヨネーズのキャップで有名だった「喫茶クラッシク」もなくなっていたが、店主の遺志を継いだ方が高円寺かどこかでお店をやっているとの情報もある。

☆中野の思い出の店~伝説の名曲喫茶「クラシック」 

昔のお店はいろいろなくなっていたが、新しい良いお店も増えているだろう。機会があればいろいろ訪れたいものだ。

 

付記4
中野といえば私は「中野大勝軒」にはほぼ毎年1回訪れて「スペシャルつけ麺」を食べている。つけ麺で私が最も美味しいと思うお店である。東池袋のあの「大勝軒」の店主(故人)が修業時代に「つけ麺」を発明したお店である。昔に比べれば味が落ちてきている気がするが、それでも私にとっては一番だ。麺を食べ終わった後に「スープください」といって丼を差し出すと、つけ汁にスープを足してくれ、それを飲むと美味しい。しかも足してくれる量が「もうちょっとほしいな」と思うたいへん微妙な量なのが、ますます美味しく感じさせる。とにかく「スペシャルつけ麺」がおすすめである。

 

付記5 最近つぶやいた曲

André Rieu & Gheorghe Zamfir - The Lonely Shepherd

Imagine Dragons - Natural

 

2018年の大晦日 おだやかな暮れの空

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今年もあと6時間。

今年はどんな年だったか。

楽しいこともいやなこともあったが、総じて良い年であった。

来年も良い年でありますように。

年末年始はこんなものとともに過ごします。

寒波がきて、実際冷え込みもあったが、今日はおだやかな一日。暮れの空を撮影してきた。

皆様、良いお年を。

 

2018年の大晦日 おだやかな暮れの空

 

付記1

今年も良いお酒との出会いがあった。いろいろな発見があった。それを簡単にまとめてみた。この蔵の酒ならどれを飲んでもまちがいはないであろうと思われる。

①…今年一番の発見。
仙禽 醸(28by 栃木)

②…非常に美味しかった。
美丈夫(純米大吟醸 舞 高知)
花の香(純米大吟醸 無濾過生原酒 和水29BY 熊本)

③グリーンノートが個性的
琵琶のさゝ浪 Sasanami~ささなみ(冬しぼりたて純米生原酒 埼玉)

④…米へのこだわりが味に
松の司(純米大吟醸 竜王山田錦ブルー[土壌別仕込/橋本] 滋賀)

⑤…独特の旨味が素敵
上喜元(純米特A山田錦 山形)
龍神丸(純米吟醸 和歌山)
分福(純米生原酒 氷温一年貯蔵 群馬)

⑥フレッシュ&ジューシー&旨味&熟成感
達磨正宗(純米酒 熟成酒用仕込 ぴちぴち生原酒 うすにごり 28BY)
常山 純米吟醸 霞 直汲生 福井)
伝心(純米吟醸 無濾過生酒 春 福井)
福祝(彗星55 純米吟醸直汲み無濾過生原酒 千葉)
上川大雪(特別純米 北海道)
福田(純米吟醸 山田錦 長崎)
五十嵐(別誂 純米酒直汲み 29BY 埼玉)
龍勢(純米吟醸 無濾過生 桃ラベル 広島)
北島(純米生酛 無濾過生 愛山 滋賀)

⑦フレッシュ&フルーティ
宮寒梅(純米吟醸生 美山錦45 おりがらみ 宮城)
咲耶美(純米吟醸直汲みうすにごり生)
文佳人(特別純米リズール 高知)
MIYASAKA CORE(長野)
綾花(純米無濾過生原酒 福岡)

⑧熟成の期待感
竹雀(酵母無添加生酛純米無濾過生原酒)

⑨モダンなクラシック
毛利(純米大吟醸無濾過生 山口)

⑩普段のお酒にしたい
國権(特別純米 夢の香 福島)

⑪にごりではピカ一
生酛のどぶ 純米生原酒 仕10号 28BY 奈良

 

付記2

映画のまとめは年明けに。

付記3

今年のお気に入りのまとめ。

20190105 正月の散策 武者小路実篤記念館にて

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謹賀新年。

調布にラーメンを食べに行った。一軒目から二軒目に向けて歩いていると、妙に緑の多い通り。学校があり、図書館もある。不審がったり感心したりしていると、「武者小路実篤記念館」の看板。せっかくだから寄ってみることに。入館料は大人200円。

武者小路実篤といえば、小学六年か中学一年あたりに、山西の享さんから何かの記念に本を一冊買ってやるとお金を渡され、それで耽書房で本を買ったことがあり、その時買ったのが武者小路実篤の「友情」だった。

記念館内には、彼の文学上の、そして生活上の諸資料が展示されている。旅、日向の新しき村、絵、講演、関東大震災、そして家族、転居。広くはないが、蔵書が豊富で、閲覧室も備えているので、じっくり落ち着いてみることができる。著書や彼の言葉と絵をかいた色紙等々買い求めることもできる。

色紙には彼のこんな言葉がある。


 共に咲く喜び

 勉強 勉強 勉強
 勉強のみよく奇蹟を生む

 君は君 我は我也 されど仲よき

 仲よき事は美くしき哉

 私と共に七十三年 その間に最も忠実に私のかきたいものをかいてくれた老いたる手よ お前に感謝する(手形レリーフ)

 天に星 地に花 人に愛

 雨が降った それもいいだろう 本が読める

 この道より 我を生かす道なし この道を歩く

記念館と旧邸宅は写真撮影禁止なので、くわしくはこちらから。

調布市武者小路実篤記念館

記念館は実篤が終の棲家にした仙川の家の敷地内にある。邸宅と庭も保存されている。無料で公開されている庭はかなり広大で、近隣の住人の散歩道にもなっているようだ。かつて断崖だったらしくアップダウンがある。池と水路も多い。池には魚も泳いでいる。蚊柱のように小さな虫があちこち群れ飛んでいた。そういえば記念館の受付に備えてあったデジタル時計には、気温14度、湿度35%と表示があった。

 

 

 「友情」は残念ながら少年時代の私には理解できず、そのままになってしまった。記念館で「友情」を買い、もう一度読んでみることにして、私は家路に就いた。

 

20190105 正月の散策 武者小路実篤記念館にて

 

付記1 2018年の映画

見る本数が多くなかったが、良作はいくつかあった。

①ベストは次の5本

「わたしを離さないで」(2010 英)…限られた生の意味を見出すことの幸い。(Never Let Me Go)。永久保存。
「24時簡の情事」(1959 日仏)…自分の目で見ていないものをどこまで想像し考えることができるか。原題は「Hiroshima mon amour ヒロシマわが愛」。永久保存。
「男と女」(1966 仏)…愛するには勇気が必要だ。永久保存。
「ネブラスカ」(2013 米)…人間のばかばかしさがいい。アメリカの荒野を優しく映し出す。永久保存。
「早春」(1956 日)…浮気は本気ではない。

②その他こんなものを見た。

「熊座の淡き星影」(1965 伊)…破壊された心の生。
「奇跡の丘」(1964 伊・仏)…言葉による革命家としてのイエス。
「何がジェーンに起こったか?」(1962 米)…悪魔は人間の写し絵。
「淵に立つ」(2016 日仏)…道徳的規範を持たない現代において人間はわけのわからないまま血を流し続ける。
「緑の光線」(1962 仏)…自分だけが人に好かれないという感覚。最後に素敵な人と出会えてよかった。
「突然炎のごとく」(1962 仏)…男とはマザーシップだという太宰の言葉を思い出した。
「ローズマリーの赤ちゃん。(1968 米)…静かな恐怖。
「「僕の戦争」を探して」(2013 西)…スペインで「僕の戦争」を撮影中のジョンに会った男の物語。
「恋せども、愛せども」(2008 日)…生きるとは愛すること。
「シェルブールの雨傘」(1964 仏)…愛することをやめることができる哀しみ。
「ロシュホールの恋人」(1967 仏)…可愛らしいミュージカル。
「わらの犬」(1971 米)…知性が暴力に侵食されるとき。
「火の山のマリア」(2015 グアテマラ)…科学が進んでも迷信は残る。
「ミルレッドピアーズ」(1945 米)…仕事では有能だが愛情は見つけられなかった母。
「さらば冬のカモメ」(1973 米)…古き良き野郎ども。
「ラスト・ショー」(1971 米)…人も町も時代も命を持っていていつか終わりを迎える。
「最高の花嫁」(2014 仏)…異人種間結婚ではポリティカルコレクトネスだけでなく本音をぶつけ合うことも大事だ。率直さ。割礼、ハラル。
「四月物語」(1998 日)…女性の密かな企ての可愛らしさ。
「いとこ同士」(1959 仏)…真面目人間と不真面目人間のどちらも幸せにならない。
「アフリカの女王」(1951 米・英) …ハンフリー・ボガードの野卑もキャサリン・ヘップバーンの理知もいい。
「山の音」(1954 日)…湖の底深くに沈む思慕。
「バルタザールどこへ行く」(1964 仏・典)…死とはものを感じる心を失うこと。

 

付記2

この日食べたラーメンは仙川の中華そばしば田とつつじが丘の柴崎亭である。どちらもまずまずの味であった。

 

付記3 正月につぶやいた曲。

HAPPY 2019! Getting Better - MonaLisa Twins (The Beatles Acoustic Cover)

こちらが元。
The Beatles - Getting Better

 

付記4 (20190105 22:45追記)

鰐陵(石巻高校)同窓生の高橋修くんよりメールをいただき、昨年12月の石巻かほくの記事に、昔の「まるみ屋」さんや「大文字屋」の映った写真が掲載されたとのことでお知らせいただきました。下記で見ることができます。大文字屋はかなり判別が難しいです(苦笑。高橋さん、いつも情報ありがとうございます。

米軍医が撮った1951、石巻地方<46> 大町3丁目通り (http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2018/12/20181223t13010.htm)


2019 名残りの桜 in 生田

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東京では先月27日にソメイヨシノが満開になったそうだ。その後寒の戻りがあって桜はまだ散りきらずにいる。私の住む川崎市多摩区では見ごろは過ぎた感があるが、まだなんとか花を保っている。

昨日、今日と、咲き残る桜を楽しんできた。

まずは5日の生田の桜。

すでに葉も出ているのもあるが、花芯に緑色の雄しべが出る種類もあるようだ。

古今和歌集にこんな歌がある。

 みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける (作:素性法師)

遠くから都を見渡すと、柳の緑と桜の薄紅色とが混じりあい、これこそ京の都の春の美しき姿であることよ、そのような意味である。

桜と緑の競演は悪くない。

春の光と混じりあって桜は様々な相貌を見せる。

ここからは今日(6日)昼の生田駅前の桜。しだれ桜。

牡丹桜。牡丹桜は河津桜と同じと思っていたが、ちがうようだ。牡丹桜=八重桜で4月から5月上旬にかけてボンボンのようにたくさんを花をつけて咲き、春の終わりと夏の訪れを告げる。河津桜は静岡県賀茂郡河津町で見られ、1月下旬から2月という早咲きで、品種的にはオシマザクラとカンヒザクラの交配種と推定されるとのこと。

4月とはいえまだ寒さは残る。皆様くれぐれもご自愛あれ。

 

 2019 名残りの桜 in 生田

 

付記 1~3月につぶやいた曲。

20190505 尾籠な話 ポリープ切りました 憲ちゃんと言葉

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 尾籠な話ですが…、そんな枕の話ぶりが上品さを感じさせると気付いたのはおそらく二十代の頃だ。その言葉自体をいつ知ったのかは定かではないが、何かの本で読み、ラジオか何かで人が話すのを聞いて「ふーん」と思った、そんな記憶が朧げながらある。

*   *   *   *

 今年の1月、大腸の内視鏡検査を某医院で受けた。発端は昨年9月に受けた生活習慣病検診である。レントゲンや胃カメラ、血液検査に異常はなかったが2種類提出の検便の一つに潜血便が認められ、「大腸にポリープや悪性腫瘍がある可能性があるため大腸の内視鏡検査を受ける必要がある」との所見が示された。それが10月下旬。不思議なもので、人間は自分の命が危険に晒されているとなっても、その危険から目を逸らしてしまおうとするところがある。「面倒だ」、「時間がない」、「悪性腫瘍があったらどうしよう」、「二つのうちの一つにしか見つからなかったのだから、たんなる体調不良だろう」。不安とそれを打ち消そうとする(誤魔化そうとする)等々の気持ちが入り乱れつつ、何とか検査を受けない方向に考えたものである。
 まあ、いつまでも逃げるわけにもいかないことにほどなく気づき、結局病院探しを始めたのが11月に入ってから。11月中旬に予約を取ることができた。
 その病院は消化器官系専門で、大腸の内視鏡検査の実績が豊富。HPを見ると患者に対する配慮が行き届いている印象で、それが決め手になった。予約制の歯医者以外にここ二十年病院に行ったことがないので、大病院で数時間も待たされるのは勘弁願いたい、こじんまりした予約制の病院ならそんなに待たされることはないだろう、そんなふうに思いつつ受診に向かった。結果的に予約時間から2時間半ほど待たされた。時刻は夕方近くになっていたが、担当医師は今まで患者の施術が続いていたらしく、慌ただしそうな空気を漂わせながら問診を始めた。(後で気づいたが院長先生だった。)

 ふだんの便の回数や内容、食事、水分摂取の状況等々を一通り説明すると、医師は、「便の回数が少ないですね。毎日定期的にあった方がいい。便の後半は水っぽくなっていないですか? そうでしょ? 水の摂取が少ないと、便を作るのに腸の上の方から水分が誘導されて便がやわらかくなる。水は一日2リットルは摂ってください。お茶やジュ―スでもいい。塩分を含む汁ものやスープはカウントしません。」とかなり一方的に説明した。
 私はふだん水はほとんど飲まない。飲むと胃液が薄まって消化に悪いような気がするし、水分が少ない方が便もゆるくならず硬い便になると思っていた。便通も2、3日に一度が普通だし、便秘というのは1週間ぐらい出ない人のことで、自分は「普通」の範囲内だと思っていた。ところが医師の話ではどうもそうではないらいしい。それでも、便通は体質によって人それぞれだろうから、この程度の話で自分の便通の情況に問題があると言われてもちょっと納得しがたいなあ、との思いを捨てきれずにいた。
 とにかく大腸の内視鏡検査を受けるということで、その場は食事に関するアドバイス、特に水を一日に2リットル飲むという怪しげな健康法にも思えるアドバイスと検査の準備に必要な下剤や食事制限の手引きの書類などを受け取って帰ってきた。受付では、「内視鏡検査を行った際にポリープ等が発見された場合には切除しますので、その場合には費用が最大3万円程度になります。特に問題がなければ数千円です。」との説明も受けた。
 検査の日にちの予約は後ほど電話で相談して最終決定することにしていたので、数日後に電話で決めたのだが、11月中旬の時点で12月下旬まで予約が埋まっており、空いているのが1月4日以降と言われる。ただし、「3日前から食事制限があるので、実質的に元旦から正月料理やらお酒やらの御馳走はNGになりますが、どうなさいますか」と言われて、正月に美味しいお酒を飲みたいという誘惑に負けた私は1月中旬の日にちを予約したのだった。

 検査の3日前から食事制限が始まった。注意点は以下の通り。

 ●「3日前より避けてほしい食品」
 ・海藻類(わかめ、こんぶ、ひじき)
 ・きのこ類、こんにゃく
 ・繊維の多い野菜
 ・種や皮のある野菜や果物(ゴボウ、玉ねぎ、ほうれん草、長ねぎ、納豆、キャベツ、トマト、なす、とうもろこし、きゅうり、ばなな、みかん、キウイフルーツ)

 ●前日夕食より避けてほしい食品
  ・乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)
  ・油の多いもの(天ぷら、肉、赤身魚、バター製品)
  ・果肉入りジュース・100%野菜ジュース・アルコール類)

 ●食べても大丈夫な食品
  ・主食はいつもの通りで大丈夫。(玄米等×白米〇)
  ・うどん、そうめん、パン、おかゆ、豆腐、お麩、たまご、ビスケット、白身魚などはOK
  ・水分は十分にとりましょう。

  ≪検査前日≫
  ・夕食は夜8時まで済ませる。
  ・常用薬は医師の指示に従い服用してください。
  ・水分はできるだけ多く飲んでください。お茶、水、スポーツドリンクなど透明なもの)。ジュース、牛乳、コーヒー、アルコールは控えてください。
  ・夜9時に下剤の一部をコップ一杯の水に入れて飲む。

 納豆とバナナが食べられないのは少しつらいな、などと思いながら、プチダイエット気分で食事していた。
 問題は当日である。「起床時に水分をとる(コップ2、3杯)」、「朝食は抜いてください」はいいとして、検査までに「2リットルの下剤」を飲まなければならない。これは一度にではなく、1リットルずつ、間に500mlの水もしくはお茶をはさんで、2回に分けて飲むのだが、「ゆっくり時間をかけて」飲まなければならない。その間に、便はどんどん出さなければならない。つまり、トイレと部屋を往復しながら、下剤を飲み続けるのである。便が透明な水のようになるまで続けるのだが、とにかく2リットルの下剤は飲み切らなければならない。これはたんにお腹を空っぽにするためだけではなく、腸内をきれいにして検査で見やすくするためのようである。この時ほど自宅トイレに暖房設備を整えていないことを後悔したことはない。(ちなみに私は自宅で下剤を飲んだが、この病院の場合、早めに行って個室で待機しながら「準備」することも可能である。)
 何とか「透明」になり、午後に病院に向かった。病院でも念のためトイレで排便して、便の色を看護師さんに確認してもらう。「あ、大丈夫ですね、きれいですね!」と明るく言ってもらって妙な気分である。この日も1、2時間待ちがあったが、小さいながらに個室で待機することができた。さほど大きくない病院には、老若男女、どちらかというと「老」の方が多いが、ずいぶんと訪れていて混雑していた。
 順番がきて診察室に通される。施術は初診の先生ではなく別の若い男の先生に。検査に痛みはないらしいが、希望すれば鎮痛剤の投与が可能とのことでお願いすることに。鎮痛剤が打たれ、「それでは始めますね」の声がかかり、私の黄門様の中に何か入ったと感じた瞬間、私は意識を失った。

 「佐藤さん、終わりましたよ。」の声で、我に返る。意識ははっきりしていたが、何がどうなったのかも分からず、ちょっとした目覚めのよい朝のような気分で、看護師さんに促され、待機室に戻る。検査結果について医師から何か言われたかどうかもわからなかったが、待機室から引き上げる看護師さんから「ポリープを3つ取りましたよ!」と明るい声で言われ、ああ、そうなのかとその時は思っただけで、帰宅の途に就いた。くわしい検査結果は次回ということになる。
 1週間後、検査結果は初診の時の院長先生から示された。結論からいうと、ポリープを3つ切除し、悪性腫瘍はなかった。3mmの過形成ポリープ、10mmの若年性ポリープ、5mmの腺腫があったが、いずれも良性で、ただし、一つだけ、放置していたらガン化する可能性のものがあったとのこと。
 ポリープをとったということで、ガンではないのだろうとは思っていたが、まあ、悪性腫瘍はなかったと聞いて一安心である。ただし、ガン化する可能性のあるものがあったということで医師からは「一年後にもう一度同じ検査を受けてくださいね」と念を押された。その時銀縁眼鏡の医師の顔が嬉しそうな笑顔に見え、医業者の商売人としての顔を一瞬垣間見た気がした。
 念のため今後の食生活についてアドバイスを求めると、大腸がんは食生活の欧米化、肉や脂肪の摂取と並行して増えてきたので、脂っこいもの、肉類は控えめにした方が良いとのこと。また、便秘はよくないので水をよく飲むこと。一日2リットル。「煙草やアルコールは控えた方がいいですか」と訊くと、「明日から煙草もアルコールも解禁ですよ!」と、「おめでとう!」と言わんばかりに言った。「少し控えたほうがいいですよ」ぐらい言ってほしかったのだが、少なくとも大腸がんにはそれほど影響ないということらしい。これが医学的に一般的な話かどうかは分からないのだが、たとえば煙草が肺がんとの関係を多少なりとも取り沙汰されていることを考えると、とりあえずこのお医者さんは私が大腸がんにさえならなければいいと考えているように思える。まあ、そんなことはないだろうけれど、と思いながら帰ってきた。それが1月25日である。

 今私は一日に2リットルの水を飲んではいない。しかし、1リットルは飲んでいるだろう。朝、昼、晩、風呂前、寝る前に、それぞれコップ一杯は飲んでいる。水以外のジュースやお茶を含めれば2リットルにはなるだろう。それで私の腸の調子はというとほぼ毎日いい感じの排便(私にとって「拭かなくてもいいぐらいの排便」がそれにあたる)があり非常に快調で爽快である。(唯一私の黄門様が忙しくてキレ気味であるが。)うーん、水をたくさん飲むというのは、少なくとも結果においては間違っていないようだ。ただし、なぜそうなるのかについてはまだはっきりわかっていないので、そのあたりもおいおい調べていきたいと思っている。院長先生、疑ってごめんなさい。

*   *   *   *

 「尾籠な」という言葉といっしょに思いだすのは憲ちゃんのある言葉である。
 それは、私が小学生の3、4年生あたりのことではなかったかと思う。石巻には羽黒山のお祭りというものがあり、ある日の夕方、憲ちゃんと私と当時の住み込み女性店員のキヨちゃんとで見物に行くことになった。なぜその顔触れになったのかは不明だが、若い女性といっしょに歩く憲ちゃんがいつになく機嫌が好いように見えたのは気のせいであろうか。
 寿町から曽波神屋さんの前を通り、マルシンを過ぎたあたり、祭りの賑わいでさんざめく夕方の裏通り。突如自然が私を呼んだ。「お父さん、○○○したくなった。」その時私がどう言ったかは正確には覚えていない。しかし、とにかく緊急事態である。近くに公衆トイレはない。駅までは距離があるし、羽黒山にトイレがあるかもしれないが、あったとしても、あの長い石段を登っている間にアウトであろう。どうするか。少し思案したらしい憲ちゃんは、ある建物の中に入っていった。何となく自宅兼小さな工場みたいな建物であった。中にはバンタイプの車がおさまっていて、その奥に住まいがあり、その一室の戸に憲ちゃんは「お晩です」と声をかけた。中では4,5人の家族らしき住人が食事をしているところであった。住人が不思議そうな顔をして「はい」と戸を開けると、憲ちゃんは「すいません、ちょっとオツージすまさせてもらえるすか」と言った。一字一句正確にこう言ったわけではないと思うが、「オツージ」という言葉は鮮明に私の耳に残っている。そしてそれが何であるのか、私には分からなかった。住人も、何のことだかわからないといった感じで、一瞬間があったが、どうやらトイレを使わせてほしいということだと通じると、ああ、どうぞということで、私はその場所に案内され、無事に用を済ませることができたのである。

 祭りで「お○○○した」との悪夢のような思い出づくりを阻止してくれた憲ちゃんに、まずは感謝せねばなるまい。そしてもう一つ、この「オツージ」なる謎の言葉を私に教えてくれたことに感謝せねばなるまい。
 考えてみれば、私が緊急事態に陥った息子のために、知らぬ家の食卓を訪れ、その場所を使わせてもらうことをお願いするのに、憲ちゃんのように相手を不快にさせず、品さえ感じさせる形でやり遂げることができるだろうかというと、まったくもって自信がないのである。
 人は生きている中でさまざまな言葉に出会う。その言葉がその人にとって目前を通り過ぎるだけの言葉になるか、それとも自分の肉体の一部になるかは、その人の言葉への向き合い方、あるいは、生きることへの向き合い方によるのだと思う。憲ちゃんもそんな言葉に特別に注意を払っていたわけではないだろうが、少なくとも彼の目や耳に入った言葉を、咄嗟の必要のために取り出すことができるぐらいには、言葉を大切にしていたのではないかと思う。

 ポリープ切除とともに、そんなことを考えた次第。


*   *   *   *

付記1
 「尾籠(びろう)」はもともと「痴(おこ)」という言葉に「尾(お)籠(こ)」と漢字をあてたもので、それを音読みしたものである。だから、元の言葉は「痴(おこ)」である。「痴(おこ)」には、「不潔である」「わいせつである」「礼儀をわきまわない」などの意味がある。場にそぐわない不潔なことを話題にする場合に「食事中に尾籠な話になるが…」などと使う。

付記2
 「お通じ」は名詞「通じ」に接頭辞「お」がついたもので、「大便の排泄」、「便通」のことである。 私がこの言葉の意味を知ったのは、便秘薬のテレビコマーシャルでである。

付記3
 冒頭の写真は私の朝食である。現在はチーズをプロセスチーズからナチュラルチーズに、カフェオレに使う牛乳は、低温殺菌牛乳に切り替えている。これまでは体にいいものをどんどん投入するという考え方だったが、今は体の負担になるものを減らすということも考えて食べ物を選ぶことにしている。まあ、歳ですから。

付記4
 5月。新緑の候である。新緑と言えば「小さな恋のメロディ」の「若葉のころ」を思いだす。そういうわけで再生リストを作ってみた。ロケ地の最近の映像やメイキングも。

 

単独で。↓

五月一日 First of May - Bee Gees

20190526 三好屋さんと坂本くんの近況

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「東京の人に女川をPR 料理店経営者が常連客連れバスツアー」の画像検索結果

↑石巻かほくのwebサイトより

マコちゃんよりツイッターで連絡あり。

女川町で被災後、東京で料理屋「三好屋」を営む松川さんが、常連さんのリクエストもあり「女川バスツアー~みんなで女川さ行くべ!」を企画。この18、19日に実施されたとの報道が石巻かほくでありました。

クリックすれば当該記事を読めます。→東京の人に女川をPR 料理店経営者が常連客連れバスツアー

※ 三好屋さん訪問記事→20161106 三好屋さんに行ってきた。(10月20日)

 


また、少し前になりますが、鰐陵(石巻高校)同窓の坂本くんが、新赴任先の湊小学校で競技かるた大会を実施。その模様が石巻日日新聞に掲載されました。

クリックすれば当該記事を読めます。→湊小で競技かるた体験 坂本校長ら有段者が講師 勝負は一瞬 畳上の熱戦

😄全日本かるた協会五段の実力者である坂本校長が、子どもたちに日本の伝統文化への関心を持ってもらおうと実施。改元で和歌に注目が集まる中、児童たちが百人一首を学ぶ楽しさに触れました。https://t.co/k5u9kv6iB0

— 石巻日日新聞 (@hibishinbun) 2019年5月23日


 

みなさん元気に活躍されていますね!!

 

 

 

付記

最近落ち着いて音楽を聴いていない。これは曲というより映像に目を奪われた。youtubeを開いて。

The Island Heart of the Philippines - MARINDUQUE TRIP

 

暑いからかつぶやいてしまった曲。暑苦しいポールを皮肉った曲らしい。バングラデシュコンサートより。(私が知るバージョンと少し違う。)

Concert For Bangladesh Wah Wah Live

 

20190731 渡波海水浴場で泳いできた ー 2019年石巻川開き帰省その1 

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2019年の川開き帰省は、7月31日07時00分生田発小田急小田原線通勤準急松戸行に始まる。登戸駅で快速急行新宿行に乗り換え07時29分新宿着、07時37分JR中央線快速東京行に乗り換え、7時51分東京着。08時20分東京発東北新幹線はやぶさ5号新函館北斗行に乗車。09時51分仙台着、10時18分発JR仙石東北ライン石巻行に乗り換え、11時16分に石巻に到着した。4時間あまりの旅。(最速4時間以内で到着するがアクシデントを考慮し一電車余裕を持って移動。)

石巻駅前は暑かった。日射しが強い。東京辺りのこもった暑さではなく、日光を遮るものがない無防備の暑さである。

電車内の私は石巻が近づくにつれ、脳がカレーライスになっていた。駅のコーヒーショップでカレーライスを食べるイメージが出来上がっていたのである。喫煙所で一服後、コーヒーショップに入りメニューを見ると、カレーライスがない!

「カレー、ないんですか?」
「はい。」 

そういうわけで店を出る。たしか昨年から喫煙不可になったこの店にコーヒーを飲むためだけに居る理由はない。駅前を何気なく通ると市役所脇にランチにカレーを出すカフェを発見。悪くなさそうなので入ってみた。スパイスの効いたプレーンタイプと大山鶏の入ったタイプの2択で大山鶏をチョイス。食べてみるとルーもお肉もまずまずのお味。本を愛好する落ち着いたお店の雰囲気も好印象。また来てみようと思った。(もしかしたらこちらに客をとられて駅のコーヒーショップはカレーをメニューから外したのかもしれない。)

腹ごしらえを済ますと一路「渡波海水浴場」へ。

今回の帰省では31日は実家の都合がつかず泊まれないことがわかり、旅程を練り直すことになった。グランドホテルもいいのだが、芸がない気もして、石巻の他の宿泊施設を調べてみた。すると、市内中心部だけでなく、牡鹿半島や島方面にもいろいろ宿があることがわかった。ビジネスホテルから昔ながらの旅館、民宿、復興関連の長期滞在型宿泊施設も目立った(工事の減少で縮小・撤退もあるようだが。)個人的に気に入ったのは潮美荘というところだが、それというのも宿のセンスもさることなが美しい海で海水浴を楽しめるロケーションである。そうか、震災があってからもこういう宿は海を楽しむ人たちのためにがんばってきたのだな。そんなことを思いながら、「そういえば渡波辺りはどうなのだろう」と思った。調べてみると市のホームページ に「渡波海水浴場オープン」のお知らせ。幸い天気予報は晴天続きである。これは行かねばなるまい。そう思ったのである。

渡波海水浴場に到着。場所は漁港に近く、昔の渡波海水浴場よりもかなり西寄りである。プレハブの更衣室、シャワー、トイレが整っている。防潮堤を登るとその向こうに薄緑色の海が見えた。

青空と太陽の下、静かに海は広がっていた。潮騒に耳を澄ませる。砂浜は渡波、万石浦方面に続く。200メートルほどの幅にブイを浮かべて、こじんまりとではあるが、渡波海水浴場はあった。監視員が2名ほど監視塔に陣取り、数組の家族連れが水遊びに興じている。それを遠くから眺める日傘を差した老夫婦。平日の、川開き当日ということもあってか、人影は疎らだ。しかし、穏やかな静けさが満ちている。

準備体操もそこそこに水に入ってみる。はじめ少し冷たいが、冷たすぎず温かすぎず心地よい。顔を浸けて平泳ぎ、クロールで恐る恐る泳いでみる。どうやらまだ私は泳げるようだ。たぶん40年ぶりの渡波海水浴場での泳ぎ。水は40年前より透明に見える。海草もそれほど多くない。私は変わったのだろうか、変わらないのであろうか。いずれにしても海は私をあたたかく迎えてくれた。

震災後、川開きの行事の取材で漁港まできたことはあったが、渡波までくることはなかった。そういう心のゆとりもなかったし、まして泳ぐなどということは考えもしなかった。そこには津波で多くの人が亡くなったことからくる憚(はばか)りの気持ちもあった。今回渡波で泳ぐ気持ちになったのがなぜだかはわからない。それはたんに懐かしむ気持ちからだけではない。というより、そういう気持ちはむしろわずかだ。それは怪我や病から癒えた体がかつてのように働くかどうかを確かめる作業であったように思う。私にとって、リハビリであり、快癒の確認だったように思える。

*   *   *

折角ここまで来たので万石浦あたりまで足を延ばすことに。

万石橋を渡り、工事が行われている場所を通ってサン・ファン館、佐須ノ浜へ。

サン・ファン館は初めて見た。といっても中に入ったわけではなく、外から眺めただけだが。オフシーズンで閑散としていた。たしか現在は船内の見学ができず、資料館のみ稼働のはず。ホームページによると老朽化の影響によるとのこと。

サン・ファン・バウティスタ号は17世紀初めに慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を渡った木造帆船「サン・ファン・バウティスタ号」の復元船である。HPに掲載された画像を見ただけでも、生々しい歴史の迫力を感じられる。

この船と慶長遣欧使節についてはサン・ファン館HPに詳しいが、私自身はこの使節の歴史的意義について知らなかったので少し調べてみた。すると、wikipediaの慶長遣欧使節に次のような記述があった。

“慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節である。”

“慶長遣欧使節は「日本人が初めてヨーロッパの国へ赴いて外交交渉をした」画期的な出来事であった。常長らは「初めて太平洋・大西洋の横断に成功した日本人」である。のちに江戸幕府崩壊後、明治新政府は岩倉具視を全権大使として欧米視察の使節を送ったが(岩倉使節団)、その際に欧州で常長らの遺した事跡に出遭い、日本ではほとんど忘れられていた常長達の存在が再び注目されることとなる。明治新政府の首脳たちは欧米視察によって日本がいかに遅れた国であるのかを痛感し大きな劣等感に苛まれていたが、このとき250年以上も先立つ昔に日本の外交使節がスペインで外交交渉を行いローマまで派遣されていたという衝撃的な事実を知った。常長達の足跡を目の当たりにして、岩倉たちは大いに勇気づけられたという。”

“しかし日本でのキリスト教取り締まりに伴い、この外交交渉は成功しなかった。元和6年(1620年)遣欧使節の副使であった常長はマニラ経由で帰国したが、その2年後に失意のうち没し、その墓は宮城県仙台市の光明寺にある。遣欧使節の正使のソテロも、元和8年(1622年)キリスト教禁止下の日本に潜入を図るが捕らえられ、寛永元年(1624年)火刑に処せられた。常長がスペイン、ローマから帰国したとき、日本は幕府の方針によって、キリスト教禁止の時代になっていた。”

慶長遣欧使節にはこのような歴史的意義とともに人間ドラマがあったことがわかる。サン・ファン館には機会を見て見学に訪れたいと思う。
因みに宿泊施設を調べてみると、隣接するホテルサンファンヴィレッジはなかなか使えそうなので、来年利用してみようかと思う。

佐須ノ浜を見て、ここは前に一度来たことがあると思った。憲ちゃんに車で連れてきてもらったのか、享さんに釣りに連れてきたもらったのか、どちらか定かではないが、こじんまりした浜の絵が記憶にあることから前者ではなかろうか。今は8メートルほどの防潮堤が築かれ、浜と海は分断されている。海岸線の防潮堤には賛否両論があり、海辺の風景の破壊、人心を海と断ち切る、過疎化を助長する、コンクリートは建設した時点から劣化が始まる、そのメンテナンスは?…建設の趣旨からすれば、おそらく防災上の効果が第一の論点になるであろう。

なおブログを書いている時、佐須ノ浜で検索すると鰐陵(がくりょう 石巻高校)ヨット部のツイッターにヒットした。この辺りで活動しているらしい。なかなか立派なアカウントである。

***

この後私は市街に移動。サンプラザホテルに16時チェックイン。荷物を落ち着かせた後、小柳町の平塚タツヤくんの家に。お母さんは元気だが、この一年で3度ほど転倒し、膝を痛めている。湿布薬を切らしたが、祭りの人混みを星薬局まで買いに行くのが億劫なのでがまんしているというので、明日買ってきましょうと約束する。相変わらず亡くなったご主人が就寝中に現れて怖い、困るとのこと。あっちが寂しくて会いに来るんじゃないですかと私。それでもタツヤくんの弟さんが法事を仕切ってくれた話などしてくれた。

タツヤくんの家を後にしたその足で四釜商店へ。日本酒の4号瓶一本(田林(でんりん)特別純米酒)を購入。お店の人から大女将の健在を聞き、よろしくお伝えいただくよう申し上げると、仙台にいる女川の大文字屋によろしくとの言葉をいただく。

立町の通りを内海橋方面へ歩き、昔の宮城交通辺りで供養花火大会をチラと見る。私のすぐ前で地元の若い女性と東南アジアから来日しているらしい男性との日本語と英語のチャンポンの会話が聞こえてくる。「いつから日本語を習い始めましたか」「スリーマンサゴー」。かつては川開き祭りに見かける外国人というと西洋人、白人が多かったが、今はアジア人が多いようだ。これも時代の変化だ。

宿への道すがら酒の肴にと夜店で蒸しほやと焼き牡蠣串(焼き牡蠣)を購入。サンプラザホテルに戻ると1階のコンビニ(ミニストップ)で少しの食べものを買い、部屋でお酒2合とともにいただく。

蒸しほやは初めて食べたが、最初殻ごと口の中に入れて噛み切ろうとして当然噛み切れず、「何て硬いんだ―!」と思ったが、そもそも殻から身を離して食べるものらしいことに気づく。なるほどこれはなかなか旨い。なかなかの肴である。焼き牡蠣が美味しいのは言うまでもない。田林特別純米はしっかりした酸と、適度なコク、すっきりした後味と、なかなか良いお酒であった。なお、後で前年の帰省(2018年7月31日)に飲んだお酒を確認したら、まったく同じ田林特別純米だったことが分かり愕然とする。私は極力いろいろなお酒を飲みたいクチなので、同じお酒を飲んでいたことにショックを受けたのだ。来年は間違いなく別のお酒を飲むぞと今は思っている。

こうして2019年7月31日の帰省初日は終わったのである。耳の奥に潮騒を聴きながら…

 

 

20190731 渡波海水浴場で泳いできた

 

20190731 渡波海水浴場で泳いできた

 


付記1
駅前のカフェの名前は"cafe grain"(カフェ グラン)というらしい。スペースがゆったりして落ち着いて過ごせるお店である。

付記2 石巻の宿泊施設と海水浴場に関連する情報は下記の通り↓

石巻観光協会HPの宿泊施設案内
潮美壮HP
市役所HPの海水浴場オープンのお知らせ

石巻日日新聞の記事→石巻市 渡波海水浴場  8年ぶりの遊泳再開 (魚拓)

付記3
渡波海水浴場へは石巻駅からバスか列車かタクシーで。バスなら石巻駅前から宮城交通バスの女川線か鮎川線で行ける。バス停「渡波海水浴場入口」は実際の海水浴場から少し離れているので「筒場」や「栄田」辺りで下車した方がよいかもしれない。列車なら石巻線渡波駅下車。JR渡波駅から海水浴場へは1km以上あるのでバスの方が便がよいだろう。因みに私は知人の車に乗せていただいた。

宮城交通バス時刻表 → 女川線  鮎川線 

JR 石巻線時刻表 → 石巻駅  渡波駅

 

付記4

日本酒について言えば、水鳥記の美山錦があれば飲みたかったが、四釜商店さんにはなかった。水鳥記は気仙沼の角星さん(石中の同級生が女将をされている)のお酒。中でも美山錦は特に人気のようで、石巻や仙台の酒屋さんでもなかなか見つからない。田林は加美郡加美町の田中酒造さんのお酒。以前真鶴を帰省時の温泉旅行でいただいている。田林はそちらの別ブランドである。けっこう飲んでいるなあ。同じブランドを飲むにしても米違いや別スペックのものを飲みたいものだ。

 

付記5 
最近聞いた曲↓
Halsey - Without Me



20190801 8月1日朝の石巻 2019 石巻川開き帰省その2

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今年の朝の市内撮影は8月1日すなわち川開き祭り当日の朝となった。

朝5時起床。シャワーを浴び、ホテル1Fのミニストップでトマトジュース、ヨーグルト、ホットコーヒーを購入し朝食に。
出発点はサンプラザホテルすなわち立町と千石町の間。まずは住吉方向へ。

今日も朝から30℃超じゃないかと思う強い日差し。ヒーッ!

 住吉公園のかつて望楼のあった小山から神社側へは降りられなくなっていた。防潮堤の工事のために立入禁止になっている。今年は巻石は拝めない。

新内海橋は工事が着々と進んでいるようである。

新内海橋の接続道整備 18日から南北の通行制限 (魚拓

復興計画の案内

広小路と水辺の景観。

門脇から南浜へ。

称法寺の脇に新しい道が整備された。

 門脇小学校前の通りと雲雀野海岸の中間にもう一本道路が整備されている。このあたりは住宅地と追悼記念公園として市・県・国による整備が進行中である。

石巻南浜津波復興祈念公園

 門脇小学校はこの9月以降に解体が予定されている。震災遺構としての保存には、住民との間に意見の相違があるようだ。

旧門脇小震災遺構 石巻市 住民と意見交換 来月後半から一部解体へ 全体保存の声根強く(魚拓)

震災遺構としての保存は当然だが、あれだけの建物を現状のまま全て維持・管理するのは無理がある。部分保存が妥当だ。むしろ防災資料館のようなものを造って、震災の教訓をしっかり後世に伝えてほしい。広島平和記念資料館(原爆資料館)などが参考になるだろう。現在、震災伝承については、民間で次のような活動が行われている。

復興まちづくり 情報交流館(中央館雄勝館北上館牡鹿館)
震災伝承スペース つなぐ館 | 海街さんぽ

南浜から日和山に登る。石段が一部崩落したところがある。

二軒のお茶屋さんも健在。そうえいば、シュークリームが美味しい「かざみどり」さんにはしばらく行っていない。来年は寄ってみよう。

シュークリームが看板商品♪

・8月無休 営業時間 9時〜18時

・弱虫ペダル展と
スタンプラリーコラボ中

・当店はリボーンアート
フェスティバル2019
パートナーショップです。#石巻 #シュークリーム #日和山 #かざみどり #リボーンアートフェスティバル2019 #転がる詩 #弱虫ペダル pic.twitter.com/h1RD78TOWU

— かざみどり (@kazamidori_ishi) 2019年8月3日


紫陽花にもいろいろな色がある。

日和山の北側の急坂を下る。門脇方向への道路が拡幅整備されていた。かつて石巻柔道会の道場があったところだ。星林寿先生にここで指導してもらった。

石巻小学校は何かの工事中。ここから中央通りへ。

広小路から中央2丁目。

大文字屋。

京屋さん。

亀山肉屋さん前の佐武(さぶ)と市(いち)も元気だ。

比較的新参の仮面ライダーブラック。

サルコヤさんは社長が憲ちゃんの幼馴染(おさななじみ)。今年5月に閉店したとのことでとても残念。でもご苦労様。100年の歴史に幕。

 

【サルコヤ閉店謝恩セールのお知らせ】

 この度、諸事情により本店を閉店することになりました。
 100年のご愛顧に応じてオール楽器・ピアノ・五月人形の半額セールを開催中です。みなさまぜひお越しくださいませ。
 なお、音楽教室と楽器販売・修理・調律は引き続き店内にて行っております。 pic.twitter.com/CgfuiL0wrN

— 石巻 サルコヤ (@sarukoya1) 2019年4月4日


 

と思ったら…

 

【店舗再開のお知らせ】
 「サルコヤ」は一度閉店をいたしましたが、閉店を惜しむ声があまりにも多く、再度開店をいたし、使命を全うしたいと思い決心をいたしました。なにとぞ変わらぬお引き立てを賜りますようお願いいたします。
 「サルコヤ」
 石巻市中央2丁目4-7
 電話:0225-96-3658 pic.twitter.com/TZvqKC6tgV

— 石巻 サルコヤ (@sarukoya1) 2019年7月12日


何と復活していた。
不思議なのは、ネットで「石巻 サルコヤ 閉店」を検索しても新聞記事等がほとんどヒットしないこと。個人のブログなどはあるが。
どうもピアノの件であったらしくそれが影響しているようだ。
仮に落ち度があったとしてもこれまでの貢献がなくなるわけではない。今後も寿町の顔として頑張ってほしいです。

8:00過ぎ、いったんホテルに戻り朝食。サンプラザホテルの朝食はグランドホテルの朝食バイキングを利用する。利用時間が6:30〜9:00なので8:30ぐらいまでには入らないとちゃんと食べられないのである。

10:00チェックアウト。

一度駅前へ。そこから立町の裏通り、竹屋さんや質のマルシンさんのある辺りを通り、梅たばこ店の横の小道から寿町通りに出る。

すでに川開きの準備万端。私はこのまま大文字屋へ。

市内を見て回って気づいたこと? 変わったところもあるし変わらないものもある。時の流れとともに変わるものがある。それと人が変えることは同じではない。変わらなければならない、変えなければならないものもある。
変化の収束するところはとりあえずの形であれまだ先にある。
変化? どこへ向かって?
人は考えながら変わる/変えるものだ。
もうしばらくは見てみることにしよう。 

今日もよく晴れて暑い! 朝から炎天下で3時間撮影。 こうして2019年川開き帰省2日目は始まったのである。

 

 

 

20190801 8月1日朝の石巻01

20190801 8月1日朝の石巻02

20190801 8月1日朝の石巻03

 


付記1
サンプラザホテルはグランドホテルと違い完全にビジネス向けなので特別なサービスは期待できないが、泊まってみた印象としては特に不満はない。1Fにコンビニがあるのは便利だし、一泊朝食付きで6000円前後はリーズナブルな方だ。

レビューサイトにはオートロックでないことを問題視する声があったが私は気にならなかった。建物が古い分、施設も古いということだろうが、部屋の居心地や使い勝手、清潔さに問題は感じなかった。唯一引っかかったのは、料金を前払いでチェックイン時にフロントで支払うのだが、領収書がチェックアウト時渡しということ。泊まり逃げ防止と追加料金発生時のためのシステムなのだろうが、領収書は支払い後即手渡すべきでしょうね。その時はそれを言う余裕がなかったですが。

また、石巻駅には手荷物預かり所がなく、コインロッカーが少しあるだけで、市内に荷物預かり所に類するものはほぼない。それに対してホテルなどの宿泊施設のチェックイン時間はだいたい16:00以降。そういうわけで午前中に到着した旅行者は荷物を持って行動しなければならず不便だ。サンプラザホテルの場合は、荷物を宅急便などで事前に送って預かってもらうことができるので、荷物だけ先乗りという形がとれる(事前に連絡しておいた方がよい)。他の宿泊施設についても問い合わせて利用できる場合は利用するとよい。

 

付記2 「復興まちづくり 情報交流館 中央館」と「つなぐかん 海街さんぽ」の2施設は橋通りに近接しているので、一度に両方見学することができる。 また、「つなぐ館 海街さんぽ」のサイトには「石巻・東松島・女川お土産100選」というコーナーがある。私のお気に入りは「蒸しほや」と「ずんだ大福」と「がんづき」である。

付記3
前記「情報交流館」「海街さんぽ」などが掲載されているサイトとして宮城県沿岸部情報「みやぎ海べの旅案内」がある。宮城県沿岸部全体の震災伝承施設・活動を知ることができる。石巻の他の展示施設・伝承活動も掲載されている。

付記4 最近ではないが聴いた曲↓ Ed Sheeran - Shape of You[Official Video]    

最近聴いた曲↓
Ava Max - Freaking Me Out[Official Lyric Video]

 

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