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Channel: 大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 
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結果報告 ―第1回新宿辺りで坂本くんと夕方飯でも食う会 20140720

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結局二人のみの会食となった。江戸川区でお仕事を終えた坂本君と18:30に新宿西口改札で待ち合わせると、休日で目ぼしい店の開いていないこの界隈(数軒予約を試みたが)、てっとり早く通りすがりの月の雫なるお店に入る。

たがいに近況を話し合うが、私は彼のお仕事に興味があったので、それを聞いてみた。

とりわけ彼が赴任した南三陸町の状況である。この町は周知のように2011年の津波で壊滅的な被害を受けた地である。そして彼の勤める戸倉小学校は先人の教えの御蔭で多くの命が救われた学校である。

まず学校についてであるが、校舎が全壊したため他校に間借りしていた状態から、校舎の新築が決まり独立した運営が可能になった。しかし、通学する子供たちの家庭自体が仮設住居や避難生活を続けているうえ、以前と同じ場所に居を構えられかどうか分からない。そうなると学校運営の計画自体が定まらないといった状況なのだそうである。

災害復興住宅の建設も緒に就いたばかり、というより、新しい町作りの計画案自体がまとまっていないといった状態であるのだから、小学校の経営の先行きが定まらないのも当然である。地理的経済的などあらゆる要因からなる格差の問題もあって、住民が一体となることもなかなか簡単ではないだろう。

ボランティアの需要の有無を問うと、たとえば仮設住居の入居者の掃除やゴミ出し等々簡単な生活上のお手伝いなど、まだまだあるのだが、どこまでボランティアに頼るのか、もっと自立すべきではないかとの声もあって、依頼を躊躇する意識も働くという。そういう需要には、実際の作業以外に精神面の作用があって、それは副次的にみえるが実際には本質的であり、被災者への物心両面でのサポートになるものだと思う。そう考えて積極的にボランティアを依頼する「勇気」を持ってほしいと思うし、ボランティアの人には「細」くてもいいので「長い」つながりを保つことをおすすめしたい。「長い」つながりこそが人の心の支えになると思うからだ。

被災地復興にはいろいろな格差やそこからくる軋轢が生じる。作ることや壊すことは簡単だがデザインが定まらなければ先に進まない。そのためにそういったものも乗り越えなければならないのが復興の困難なところだ。

震災と言えば彼はあの日ニュージランドへの出張途中、成田エクプレス車内で被災し、津田沼だか船橋から東京方面へ歩いて避難した超帰宅難民だったが、聞くとふだんであれば職場が鋳銭場にあり、あの地震であれば当然立町・中央あたりを通って当時の勤務先である教育委員会(石巻公民館)へと向かっていただろうから、津波に遭っていた可能性は結構高く、何が幸いするか分からないとのことだった。

子どもを教えるという点では共通項のある私の仕事に関係することも少し話した。教育格差やその固定化、PISA、受験、入試問題。子どもに基礎から積みあげて物事を教え生活指導もする学校教育と私の携わる仕事はある意味異業種だが、公教育の教師は負担が過重だし、日本の教育は最強のインフラだと考えているので、政府は富裕層に有利な教育政策にばかり力を入れず、もっと公教育のマンパワーにお金をかけてほしいな、などと思うわけである。

どれだけ飲んでも酔わないビールを飲み続け(この種の店のこの手のビールはこの点で嫌いではない、因みにこの日は飲み放題コース)、料理もしこたま食べ、食事も話も十分というところで10時近くとなり、高速バス乗り場へと向かう坂本くんと川開きで時間があったら会おうと約し見送りながら、私も家路に就いたのだった。

第1回新宿辺りで坂本くんと夕方飯でも食う会 20140720

Michael Jackson, Justin Timberlake - Love Never Felt So Good


20140801 石巻川開き帰省 その1―石巻は今年も熱かった

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2014年の石巻川開き祭りの開催予定をネットで調べると、昨年同様7月31日と8月1日の2日間開催であるが、パレードのスタートが午前11時とこれは昨年より1時間早い。ということで、自宅から始発で向かっても1時間も余裕をもって臨むことができると幸いに思ったものである。

そういうわけで小田急線生田駅5時12分の始発準急に乗り、新宿駅で切符を購入してJR中央線に乗り換え、東京駅から6時32分はやぶさ1号青森行きに乗車、8時4分に仙台着、仙台駅前から8時17分発のミヤコー高速バス石巻行きで9時40分石巻着。バスを降りてすぐに「暑い!」と思った。午前中だが30度を超えているのではないか?

駅前の喫茶店で一息。立町から備長扇屋さんを右に入り、たばこ屋さんから昔東京コンパのあったあたりを寿町に抜ける。道々川開きパレード見物の出掛ける人の流れが見られ、今年は平日開催のため昨年より少し出足が鈍いように思われたが、これは夕方が近づくに連れてどんどん例年通りの賑わいとなった。

大文字屋に10時半頃到着。いつ工事したのか未確認だが、裏の倉庫が解体され更地になっていた。憲ちゃんに線香をあげて一息つくと、11時開始のパレードを撮影に。

先頭の「2020東京オリンピック・パラリンピック聖火台・聖火リレー出発地誘致トーチリレー」という長いタイトルのイベントは一瞬で通り過ぎ、次の消防音楽隊に続いて小中学校の鼓笛隊&ブラスバンンドである。予定表を見ると、参加校が少ないように見えたが、実際には昨年同様ほぼ例年通りの参加のようであった。

今年も子どもたちの演奏は胸に響いた。

見物していた人たちの声で知ったが、門脇小学校の参加は今年が最後となるようだった。

パレードの間があいたので、まるみ屋の英明くんに会いに行く。今春閉店したとの情報は得ていたが、この日はシャッターを開けていて、中にお母様がいらしたので挨拶すると、驚きながらも奥にいるらしい英明君を呼びに行ってくれた。

英明くんは「おー、どうもどうも」と、いつもの様子で出てきた。話によると、店は閉めたが商売は続いているとのこと。震災前と現在を比べると店前の人通りは以前を100とすると現在は20だという。そういう中で店頭販売はなかなか難しい。諸部門を整理し、お得意さんからの注文を中心に商売は続いているのだという。今後の店の再会については「様子を見てだな」とのことである。

その時たまたま聞いたことだが、災害復興住宅が中央1丁目の河岸付近に建つことになったという。そういう中で今後アイトピアに新たな人の流れができることも期待できるのかもしれない。

復興の進み具合を問うと、「まだいい方なんでねえがなぁ」。そういえば街中を歩いていても、通りはきれいになったし、破壊された建物を目にすることも少なく、全体としてきれいになったという印象だ。建物自体が、あるいは街自体が根こそぎなくなったりした地域に比べれば、たしかに復興の速度は相対的には速いとは言えるのだろう。まだまだ問題があるとはいえ。

いずれにしても以前と変わらぬ地に足がしっかりついた話ぶりにひどく安堵させられた。仕事であるから大変は大変であろうが。弟さんの近況も少しうかがうことができて懐かしかった。

帰宅して軽く食事をとる(といってもキクちゃんが「付き合いだから」と買ってきた出店の焼き鳥、唐揚げ、おにぎり、やきそば、イカ丸焼き各1パックずつ)。

立町を歩いていると貞吾さんに会い握手。

小柳町の「小柳焼き鳥」に平塚達也君のお母様を訪ねる。相変わらずお元気そうだったが、いつもいらっしゃる妹さんはこの日は不在で、どうも体の調子がよくないらしい。達也君が亡くなった当日に中学の卒業式に出席したお孫さんが大学に入学したとの話に3年の歳月を感じる。達也君は中学当時はどちらかというと細面で、これはお母様似であったが、幼少時は丸顔でお父様にそっくりだったという。そういえば私も以前はどちらかというと母親似と言われたが、最近は父親に似てきたと言われることが多い。親に似る似ないは時期によるものがあるようである。最近外出することが少ないとのことで、健康のためにも多少は体を動かすことをおすすめして辞した。

夕方6時過ぎ、駅近くの四釜商店さんで挨拶がてら日本酒を買って帰ろうと思ったら既に閉店。この日は6時閉店らしかった。この日飲む酒の心配をしながら立町を戻る。

7時半からの花火大会を撮影。一応動画に撮ってアップしたが、今年も撮影は上手くない(苦笑。花火の天から降ってくるような光と音の迫力と美しさは生でなければ味わえない。だからできるだけこれに集中したい。だから…と言い訳しておこう(苦笑。ところで今年は花火の本数が多かったかもしれない。昨年までは煙が漂っていると「現在上空に煙が残っております。少々お待ちください」のアナウンスが10回近くあったと思うが、今年はおそらく2、3回。煙がかなり残っている状態でもガンガン打ち上げ、煙の多さを大量の光で押し切らんとしているに見えた。打ち上げは時間ギリギリまでかかっていたし、花火と花火の感覚が短いようにも感じられた。景気がよくなってきたということかもしれないが、一本一本を大事にする気持ちは忘れないようにしたい。

幸い立町の酒屋さんで「橘屋」の特別純米酒を見つけたので購入。寿酒店でも墨廼江の純米の小瓶を見つけた。キクちゃんが用意しておいてくれた刺身+αをアテにこの晩は飲んだのである。

 

20140801 石巻川開き帰省 その1―石巻は今年も熱かった

20140801 石巻川開き パレード

20140801 石巻川開き 花火大会

Stevie Wonder - Ngiculela - Es Una Historia - I am Singing

付記1
 先日、石中、石高同窓生のジン君(新沼君)からメール有。オランダへの転勤が決まり、既に渡航とのこと。頻繁に海外出張をされているとは聞いておりましたが、この年齢での海外転勤に本人も驚きのようす。今後益々のご活躍とご健康を祈る。

付記2
 「橘屋」はラベルの住所に「二郷」とあるのを見て買った。二郷は小糸さんの実家の地(宮城県遠田郡美里町二郷)。酒蔵は黄金澤で知られる川敬商店。使用米「ひとめぼれ」のこの純米は、オイリーな米の旨味を生かした旨酒。滑らか且つキレ良く後を引く。つい呑み過ぎてしまった。

 

20140801 石巻川開き帰省 その2 ―2014年8月2日の石巻

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川開きから一夜明け、この日も朝からカンカン照りの市内を撮影してきた。

(前夜呑み過ぎたにもかかわらず、なぜ6時に目覚めるのだろう。酔い醒ましのコーヒーとヨーグルトを求めて、いちばん近い千石町のコンビニ(サンクス)めがけて歩き、やがて住吉町へ。)

前日いろいろな人から復興状況について聞いていたが、この日も歩いていてその進捗をうかがわせるものが目に入った。

まず、北上川の護岸工事。現在は盛土の流出と浸食の防止のための鉄板打ち込み工事が行われているようです。

次に中央1丁目の河岸近くに建てられる災害復興住宅。正式には「復興公営住宅」というようです。佐藤外科と旧電報電話局との間に建てられています。河岸に近いということで、津波が来た際に耐えられるよう、設計上の工夫がなされると聞きました。(そういえば石巻電報電話局=NTTは統廃合があったようで、あの塔頂のでっかいパラボラアンテナも撤去されていました。)

そして門脇の川岸を歩いていると、仮に築かれた堤防の川側に5メートル程盛り土されているのが見えます。高さ5~7メートルの堤防を築く計画になっていますが、陸地側に堤防が出過ぎないように川側にせり出す形になっています。たしかにこれだと堤防が陸側に占める面積は少なくなりますが、川幅が狭まることになりますから、ちょっとその点が心配になります。

2014年8月2日の石巻 その1

*   *   *   *

南浜町のあたりを歩くと称法寺の本堂が依然修復の進まない状態でした。隣の建物は修復されて法事などが行えるようになっているそうです。

門脇小学校については、まず2015年4月をもって石巻小学校に統合されることが決まりました。142年の歴史に幕を下ろすことになったわけです。

門脇小学校HP  (「学校の沿革」をクリックすると沿革が見られます。)

これまで門脇中学校に間借りしていた形でしたが、2014年度の新入生が3名だったそうなので存続が難しかったようです。現在通学中の児童の中にも津波で肉親を失ったり保護者が職を失ったりと就学に支障をきたしている例が非常に多いとのこと。そういう子供達のケアがしっかりなされることを希望します。

また門脇小学校については震災遺構としての保存の是非が問題になっていましたが、このほど「震災伝承検討委員会」から「旧門脇小保存で合意」という報告がありました。しかし、この問題については意見が分かれており、その経緯については次の3つの記事である程度全体がうかがえると思います。

*   *   *   *

震災遺構候補、門脇小が最多 石巻市民アンケート【河北新報 20140325】

旧門脇小保存で合意 石巻市の震災遺構検討委【朝日新聞 20140725】 

門脇小の震災遺構化に住民組織反発【河北新報 20140731】

*   *   *   *

住民感情の問題、保存の技術上の問題、管理・維持費の問題といろいろあります。

私自身は遺構として残すことに賛成です。これだけの大災害を経験した、その教訓を世代を超えて伝えるために必要ですし、この場所はその力を持つ象徴的な場所だと思います。これは百年、千年の問題です。

一方で被災者や地元住民の「忘れたい」「つらい」という気持ちがあります。だから解体してほしいと。特に、多くの命が失われ廃墟となった場所の近くに住む人々にとって、惨事のあった場所は無気味であり、生活上の負担になってさえいるのだと思います。いつも負のイメージ、震災の影を感じながら過ごさなければならないのですから。

この感情については、やがて薄れていくものであり、百年千年の問題の前では小さい、という考え方もありますが、それはちょっと違うと思います。

私はそれよりも、被災者や地元住民が自ら「残すべきだ」と考えて残すべきだと思うのです。(内的必然性のない行為は長続きしないものです。)子孫を思い、後世この地に住む人々のことを思って、彼らの役に立つ場所として残すべきと考えた時に残すべきであろうと。そういう場所にするためには、記念公園化や追悼施設、防災研究施設なども併設されるとよいかもしれない。資源化して収益が得られるしくみを作り、この地が正(プラス)の場所になるスキームが必要でしょう。かなり大きな建物ですから、維持・管理はたいへんです。建物を維持するだけでは先は続かない。だから単に「残す」ではなく、「どう残すか」についての議論が必要です。

そうやって考えると、結論は急ぐべきではないと思います。残すにしても解体するにしても、これからそれを判断するための何かがまだ出てくるように思います。

*   *   *   *

門小の脇から日和山に登ると、神社のあたりが工事中であった。これは高台避難場所・避難路の整備工事。たしかに門脇から日和山へは車にしろ徒歩にしろ道路は少ないし狭い。避難できる広場も少ない。これらを整備するのでしょう。

日和山を解体予定の旧市役所庁舎を左手に見ながら下り、石巻小学校に寄ってみると、あの講堂が新しい体育館?(それとも講堂?)に変わっていた。遠目で細かいところまでは見ていない。

中央1丁目から広小路へ。英明くんの話によると阿部パーマ屋(中マサくん)の弟さんがイタリアンのお店をこの辺りでやっているらしく、だいぶ評判がいいらしい。角のコンクリート打ちっ放しの建物だろうか。確認はできなかった。

老正興さん跡地から実家を見つつ帰宅。軽く食事をとって10時過ぎに大文字屋を出発したのであった。

駅に向かう途中、サルコヤから立町のアーケードに入ると、「石巻テラス」なる集合住宅の建設看板が目立った。たぶんマンションだと思いますが、中央3丁目の平塚鮮魚店の裏手にできるようです。

2014年8月2日の石巻 その2

↓90分ほどあるのでBGMにどうぞ。
Journey Through The Secret Life of Plants by Stevie Wonder

 

付記1
 中瀬の北寄りに新しい橋ができる、仙石線の2015年全線開通が決まるなどの報もありましたね。

付記2
 老正興さんは震災後一時復活したはずですが閉店したようです。経緯はまたキクちゃんに聞いてみようと思います。

付記3
 日和山の鹿島御児神社は震災時に本堂土台に深刻な亀裂が入り解体が必要になっています。氏子さんの多くが被災したため資金が集まらず工事がままならない状況で、寄付を募っていますがいまだ着工には至っていない模様。寄付もできるHPはこちら→鹿島御児神社

 

20140801 石巻川開き帰省 その3 ―鳴子温泉・姥乃湯に寄る

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今回の帰省では、直帰するか寄り道するか決めていなかった。とりあえず温泉宿をとれたらどこかに一泊しようと石巻駅前の喫茶店に入りネットで調べてみる。

仙台近郊は近いが観光化が激しいし、秘湯の峩々温泉(白石蔵王)はちと遠い。鄙びた温泉宿を所望する私にとってやはり石巻からは鳴子温泉が手頃だった。いくつか情報にあたって、駅近のいい湯の宿をピックアップ。宿によっては一人客お断りなんてこともあるので、おそるおそる電話で予約を申し込むと、一軒目でヒットした。当日、一人、食事は贅沢なものはいらない、というと「お一人様だと四畳半の部屋で、8000円程になります。」という。四畳半はさすがにイメージがちがうので、値段が張ってもいいのでもう少し広い部屋を、とあれこれ交渉して、8畳で13000円の部屋に落ち着く。当日予約でよくとれたなあ。

12時50分頃の石巻線で小牛田に出て、陸羽東線に乗り換えて鳴子温泉駅に着いたのが3時半頃。けっこう早く着いたので駅前で足湯をしたり、評判の良い店で山菜きのこそばを食べたりした後、宿へ向かう。

鳴子駅からゆっくり歩いて10分ほど、踏切を過ぎてだらだら坂を下りるなかなか温泉情緒のある道行き。坂を下りた先に宿はあった。

「姥乃湯(うばのゆ)」という。

なんでも義経ゆかりの湯とのことであったが、私としては四種の泉質が楽しめる、とりわけ「白濁」した「硫黄泉」があるということが決め手であった。

比較的早めに着いたので、事前にチェックイン可能かどうかを電話で確認すると快くOK。

建物は昭和の佇まい色濃く、歩くとガタピシいうが、掃除が行き届いて清潔である。敷地自体は結構広く、建物も数棟に分かれている。中規模の温泉旅館というところか。

部屋に入って宿帳に記入すると早速入浴。「亀若の湯(単純泉)」、「こけしの湯(白濁した硫黄泉)」と入り、夕食をはさんで、「啼子の湯(露天、含ぼう硝重曹泉)」、「義経の湯(硫酸塩泉)」と入る。翌朝には硫黄泉と露天をもう一度楽しんだ。

    ←クリックすると拡大できます。

入り方には適切な順番があるそうで、たとえば硫黄泉に入るとどうしても肌がやや荒れるので、その後に肌にいい湯に入ると肌がなめらかになってよいそうだ。

かけ流しの本格的な温泉であるから、温泉成分を洗い流すシャワーは設置されていない。そもそもこの宿は湯治客がメインのようで、風呂は同じなのだが、部屋は旅館部と湯治部(自炊)とに分かれている。風呂場にシャンプーなども置いていない。ネットの旅行口コミサイトによると、シャンプーやボディソープがないなどの客の不満も見られたが、旅館部に泊まった私の場合、部屋に浴衣も所謂アメニティグッズセット(バスタオル、シャンプー、リンス、ボディソープ、髭剃りセット、ハブラシなど)も用意されていた。だから、湯治客用と旅館客では条件にかなりちがいがあるようだ。因みに湯治客は一泊3000円台かららしい。

実は鳴子あたりなら結構涼しいのではないかと暑い石巻を立つ時には期待していたのだが、この日の鳴子はおそらく30度超でかなり暑く、しかも宿の古いセントラル方式のエアコンがほとんど役に立たず、仲居さんがセットして部屋を閉め切りにしていってくれたものの、十分後に仲居さんが再びやってきた時には、「あら、この部屋サウナみたい。廊下の方が涼しい…」などととぼけたことを言ってくれて、結局窓を開けて外気を入れた方が涼しいということになったが、仲居さん、温かいお茶より冷たい飲み物の方がいいでしょ、とそれなりに気を遣ってくれたのである。

あとで布団を敷きに来てくれた時に少し話したのだが、この仲居さん、福島の旅館に勤めていたのだが、震災と原発事故で旅館が経営不振になりこちらに移ってきたとのこと。福島は内陸部でもかなり建物の倒壊被害があったり、原発で避難して来た人たちへの中傷(補償金をもらって遊んで暮らして…みたいな、まあ悪口ですな)が酷かったり、いろいろな問題があったそうです。

こんな施設面ではそれほど良いとは言えない旅館であるが、しかしお湯は最高である。どの湯も入る時は少し熱いと感じるのだが、入ると熱さを感じずにいつまでも入っていたくなる。あまり長く入ると湯当たりするので湯に浸かるのは実質5分程度だが、実にリラックスできる。この時期はオフシーズンであろうから、客も湯治部に少しいる程度のようだったから、ほとんど湯は貸し切り状態であったのもありがたかった。

また食事も贅沢さはないが、地のものを活かしてていねいに作られており、種類豊富で、かなり量もあった。私はかなり量は食べる方だが、それで多いと感じるのだから結構ある。昔サルと一緒に入れる(というかサルが勝手に入ってる)長野の地獄谷温泉の後楽館で(これも安宿だった)、お腹がはちきれるかと思うほど夕食の量が多かったのを思い出した。お米(ひとめぼれ?)もつやつやして美味しかった。料理の数が多いので、ごはんは足りないぐらいだった。

宿は客も少なったせいか静かで、宿の人も至れり尽くせりのサービスというより、ほどよく放っておいてくれるので、私としては気分的にもゆっくりでき、非常によく疲れがとれました。

この宿はお湯がいい。温泉フリークにとってはたまらない駅近の秘湯といってよいでしょう。また来たいと思います。

翌8月3日、8時半の列車に乗って自宅を目指す。

こうして2104年の川開き帰省は終わったのでした。

 

2014 石巻川開き帰省 その3 ―鳴子温泉・姥乃湯に寄る


↓ちょっと懐かしいものたち。

60-70's Ⅱ


付記1 
 新幹線はやぶさは車内がシックですね。座席にはコンセントがついていました。(はやてにはついていません。ただし普通席の話でグリーンはわかりません。)

付記2
 姥乃湯さんでは無線LAN導入検討中のようですが、とりあえずWi-Fiはつながりました。

追記 20140817…姥乃湯さんのHP→姥乃湯

追記 20140817…地獄谷温泉 後楽館のHP→地獄谷温泉 後楽館 20年前にうかがった時は、おばあちゃんの手造り粽(ちまき)を土産に買いましたが、サイト内ブログを見ると現在は若女将ががんばっていらっしゃるようです。猿さんたちもご健在のようす。

 

いちじく 20141003

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8月のみそかに生田駅前の小さな食料品店でいちじくを見つけ買ってみた。

いちじくは熟すと赤茶っぽい色になるが、そうなる前は梅の実のように青々している。そうして強く圧すると樹液のような白い液を出す。

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大文字屋の庭にもいちじくの木があった。縁側から右手に池があり、その向こうに植わっていた。私が子どもの頃すでに2メートル以上、幹は曲がりくねっていて太さ15センチほど。樹齢はいくらぐらいだったか。

夏の終わりか秋口か、山の享さんがいちじく採りに来てくれた。あまりはっきり覚えていないが、おんちゃんや私や兄が登って実を採り集めた。30~40個だったか50~60個だったか、笊(ざる)が山盛りになった。

いちじくの実は熟すと先端から赤くひび割れ肌色と朱色の入り混じった果肉が官能的だが、食すると甘味酸味ともに淡く、少しの青臭さもあってあまり進まない。砂浜で深いと思って踏んだ足が思いの外浅く、そのギャップにとまどってしまうようにいちじくの味は浅い。

盛大に集めたものの生食では余ってしまうそれらをいつまにかキクちゃんは大量の砂糖で煮込みジャムにする。濃厚な甘味にはなるがしかしこれもややクセのある味であまり進まない。

そうやっているうちいつのまにか大量のいちじくは台所から姿を消すことになる。

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買ってきたいちじくはやはり味が浅かった。外観が濃い味のように見えるだけに拍子抜けする味である。そして同じく淡泊な味わいのあけびのようなさっぱりした感じがイチジクにはない。結局表皮を剥き、ざく切りにしヨーグルトを加えて食した。

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大文字屋の庭は私が子どもの頃にはすでにあった。そしてすでに荒れはじめてもいた。小学校入学前には池に金魚が泳いでいたし、亀も泳いでいた。キクちゃんがその亀を冬眠するからといって脱脂綿に包んでタンスにしまっていたりした。池の向こうにいちじくの木、石灯籠のようなものはさみネコがよくよじ登っていた松の木、その向こうに御明神さん、その向こうに土蔵があった。縁側から右に見えるこれらは思い出せるが、踏み石に仕切られた左側はあまり思い出せない。5ミリほどのおそらくは食べられない赤い実のなる低木が生えていたか。

おそらく祖父英雄の代にはできあがっていたであろう庭は私の目からは「荒れている」ように見えた。もっと整えればきれいなのにと子ども心に思った。一説では庭は荒れ放題なのが趣味がいいそうだが、仕事机の上を物でいっぱいにする憲ちゃんにそんな趣味があるとも思えず、たんに無頓着だったのだろうし、商売でそれどころではなかったのだろう。

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大文字屋の庭になぜいちじくが植えられることになったかはわからない。なぜ柿ではなかったのか、あるいは桃ではなかったのか。

でも考えてみれば私にはそれほど美味しいとは思えないいちじくの実が、いまだにくだもの屋の店先に並ぶのも不思議だ。

一般的には薬効、また加工して菓子に生かされ、海外では乾燥果物として利用されているようだが。

原産地はアラビアで六千年前のメソポタミアでの栽培も確認されているそうだ。聖書にも登場するこのくだものの風味には、彼の地の風土や歴史の味わいが秘められているのかもしれない。

大文字屋の庭にいちじくを植えた人も、もしかしたらその香りを嗅ぎ取っていたのかもしれない。

 

 

 

 

付記 最近つぶやいた曲

…もともとアート色のあるグループのポップに仕上がった曲。映像に気をとられますが、まず曲が良いと思います。外国人の目から見た現代日本人の日常生活としては、比較的実態から乖離していない映像だと思います。「清潔な盗賊」というネーミングもいい。今石巻のターワンがある建物の2階にあった「泥棒貴族」を思い出す。これはもとは映画の題名らしいが。
Clean Bandit - Rather Be ft. Jess Glynne [Official Video]

歌詞訳→およげ!対訳くん

2014年の大晦日

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 いつのまにか大晦日になってしまい大掃除も年越しそばも手につかない状況ですが、年末の御挨拶に友からの便りをご紹介したいと思います。

 鰐陵(石巻高校)同窓生の坂本くんより昨日下記のメールをいただきました。同送されている方もいらっしゃるかと思いますが、ここに紹介いたします。

****
51回生の皆様・坂本

年の瀬慌ただしくお過ごしのことと思います。
①昨日お知らせしました、木村浩志君のラジオ放送を聞いたという
  お知らせ・感動した・・・・などとお便りいただきました。門脇中・
  モヒカン青春青年こと荒木正也さん・現石原さんからも年末の
  素晴らしい心温まるお話とお言葉をいただきました。
②本日、東京都より森口秀志氏が石巻に来られました。
  今回は、2年前にワニ・プラスから発行された たくましく生きよ
  佐藤淳一先生の雄勝中学校での震災後の取組を紹介した本が
  新書版として来年二月発行されるということで、森口君が、
  佐藤淳一君・当時の中学生、勤務していた先生にインタビューし
  その内容も追加したうえで発刊されるということです。後日、詳細は
  お知らせいたしますので楽しみにしていてください。発行者は、門中の
  佐藤俊彦君です。
 ③佐藤淳一君出身の涌谷町立箟岳中は今年をもつて閉校、涌谷中と
   統合になります。震災後、石巻地区でも学校統廃合が進み、相川小・
   吉浜小・橋浦小が北上小に。吉浜小出身の3D佐々木啓悦君は、
   現在東松島市宮戸小に勤務。16年の野蒜小との統合に向かっています。
   2年前には、船越小・神童植木洋君3A卒業も雄勝小と統合、今年は湊二小が
   湊小と統合、来年は門小・高橋チャム他多数卒業や、飯野川二小・千葉浩3D
   柔道部卒などの母校も統合となります。時代の流れとはいえ、複雑な思いでも
   あります。
 ④尚、佐藤淳一君は、仙台市教育局学校教育部勤務。森口秀志君は、神奈川県
   川崎市で求職者支援訓練校・ジョイカレッジ結(ゆい)の校長・キャリアコンサルタント
   として活躍中です。取材終了後は、小野寺宏明君・3B新聞部門中卒も合流し、
   石巻の夜を探索しました。小野寺君は、昨年まで石巻好文館高校の国語教師・
   防災担当として12年間勤め、今年から石巻商業高校に勤務しております。母校、
   への赴任が期待されるところです。
    以上、報告でした。
   良い年をお迎えください。

坂本忠厚・南三陸町戸倉小学校

****

 メール中①の木村くんの詩集については28日に同じ坂本くんより次のような連絡を頂いております。

****

木村浩志君・女川一中が詩集を発行したことは、既に周知のことと思います。
地元でも、話題となっておますが、
12月25日、女川災害FМラジオて゜、木村浩志君・ペンネーム木村洸士郎
の書いた、詩集 海 帰りゆく処・・・・が紹介されました。
 尚、このことについては、来年2月発行予定の同窓会誌にも
、同窓生便りの中で、木村君の高校時代・そして近況の紹介とともに
でいくつかの詩とともに掲載される予定です。ぜひ、お読みください。
 ラジオでも、いくつかの詩が紹介されています。
こちらのアドレスをクリックすると、音声のダウンロードアドレスが示されます。
http://xfs.jp/sXw1Js
 付記 私現在、隣接の南三陸町立戸倉小学校に勤務しておりますが、昨年より
町内の伊里前小学校に仲上浩一君・3D陸上部・石巻中学校出身が勤務しております。
被災地の学校ということで、同級生の皆さんからも温かいご支援をいただいておりますことを
感謝いたします。
 また、秋に石巻高校創立90周年記念式典がありましたが、52回生の安住淳君が
記念講演を行い好評を博しました。我々が経験したような鰐陵時代の思い出を
熱く語ってくれました。

****

 今年も健康に一年を過ごせたことに感謝するとともに、みなさんの活躍を励みに来年も頑張っていきたいと思っています。

 みなさんも良いお年をお迎えください。

 

付記1 上掲写真について

 同窓生からの【石巻高、新たな時代へ飛躍誓う あす創立90周年記念式典 石巻かほく 20141023】に関する情報によるものです。男女共学に時代の流れを感じますね。

付記2 2014 Best songs

01.Pharrell Williams - Happy
02.G.R.L. - Vacation
03.RITA ORA - I Will Never Let You Down
04.Miley Cyrus - We Can't Stop
05.One Direction - You & I
06.Lea Michele - Cannonball
07.Jake Bugg - Messed Up Kids
08.Stay High - Hippie Sabotage (To Love Flip)
09.Gorgon City - Here For You ft. Laura Welsh
10.Young Money - We Alright (Explicit) ft. Euro, Birdman, Lil Wayne
11.Ellie Goulding - Burn
12.Miley Cyrus - Wrecking Ball
13.Ed Sheeran - Sing [Official]
14.Nico & Vinz - Am I Wrong [Official Music Video]
15.Coldplay - A Sky Full Of Stars (Official video)
16.Michael Jackson, Justin Timberlake - Love Never Felt So Good
17.Stevie Wonder - Ngiculela - Es Una Historia - I am Singing
18.Stevie Wonder - If It's Magic
19.Coldplay - Midnight
20.Coldplay - Magic (Official video)
21.Siúil a Rúin - Lothlórien
22.Clean Bandit - Rather Be ft. Jess Glynne [Official Video]
23.Hilary Duff - Chasing the Sun
24.Rihanna - Stay ft. Mikky Ekko

発見は22.Clean Bandit - Rather Be、一番の曲は14.Nico & Vinz - Am I Wrong です。
でもこんなのも好きですね。↓

Christina Perri ft. Jason Mraz - Distance

Christina Perri ft. Jason Mraz - Distance[Acoustic]

Sur les Murs de ma Chambre - Ödland


付記3 2014 Best Cinema
 洋画は『さよなら子供たち』(ルイ・マル 仏 1987)、邦画は『舟を編む』(石井裕也 松竹 2013)。前者は胸に焼き付けられるようなラストシーンが、後者はオダギリ・ジョーの演技が印象深いです。
 最近見た『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(米 2011)は映画としてはよくないですが、原作は良さそうなので読んでみたいと思っています。

 

20150627 第1回石中同窓会新宿紀州屋でまた飲む会

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↑プライバシーに配慮し写真は小さ目サイズにしております。

 

1週間ほど前にガンジより連絡があり、プチ同窓会やりませんかということで、27日夕刻、新宿駅南口に例のメンバーは集合したのである。

オカくん、アッコさん、ガンジ、ケヅカくん、トッシュロ、それと、アキオ(阿部)くん、新田(ヒトシ)くん、いやいや、こちらはとても久しぶりなのであった。

そして今回もサプライズ有り(予告するとサプライズではなくなるのだが、それは置いといて)の言葉通り、女性陣に一名新規参加されたのがリョウコ(アベ)さんであった。

南口からほど近い紀州屋さんに入る。

話は新田くんの「狂言」から始まる。

ガンジによると、石小4年の学芸会において新田くんは狂言の主役(太郎冠者?)を演じたのそうだ。ガンジにはその時の新田くんの演技のハマリぶりが印象深かったらしく、新田くんといえば「狂言」みたいなイメージが強く残っているのだそうだ。

私も学芸会で狂言が演じられたことはかすかに記憶にあり、新田くんが主演を演じたことも何となく覚えている。思い出して見ると、新田くんにはどことなく古典芸能に通じる渋く大人びたところがあったし(あ、あくまでイメージです、部分的な)、そんな彼を主役に据えた先生方も流石だなと今にして思うところがある。

新田くんとは石小3、4年時に同じクラスで、お互いの家に遊びに行ったことも何度もあり、たしか彼の自宅は泉町にあったので、その辺りを遊び回ったことを覚えています。新田くんはその後住まいが蛇田に移ったそうで、それほど頻繁に遊ぶということはなくなったのですが、どこかでつながっている感じはありました。

リョウコさんによると、中学時代の新田くん、「これ、いいよ」と言ってビートルズの歌詞を訳したものを渡して紹介してくれたそうで、それを読んだリョウコさんが感動して母君に見せたら、「この子、ませてるわね」と言われたそうだ(笑。まあ「愛」とか「彼女」とかが歌詞には満載ですから。)当時ビートルズは男子の間では結構聴かれていたので、もしかしたらO原くんつながりもあったのかもしれない。なお、リョウコさん、これを機に「歌は詞から」の感を強くしたとのことで、英語の指導の際に生徒に歌詞を渡して「アンド・アイ・ラブ・ハー」などを聴かせた日には、「生徒の食いつきがちがうこと!」と後々非常に役だったと感謝していました。

なお、新田くんは、小中学校時代のことは「ほとんど覚えていない」とのことで、過去の自分に驚くことしきりでしたが、もともとシャレ好きで、お茶目な性格は昔のまんまでした。

アキオくんについては、中学時代、たぶん3年次だと思うが、弁論大会に出場して優勝したように記憶している。たしか「『ありがとう』を言う自動販売機」といったタイトルだったと思う。自動販売機で買物をして、何も言われないよりは、「ありがとうございます」の一言があった方がいいんじゃないか、といった内容だったと思う。今はその種の自動販売機が珍しくないことを考えると、なかなか先見の明があったんじゃん、と皆で感心しておる次第です。

アキオくんも目のあたりの感じが昔のままで、顔を見てすぐに分かりました。声もほとんど変わっていないような気がしました。

アキオくんも新田くんも、お子さんが大きくなられて、ナイス・ミドルになられていました。(関東在住)

リョウコさんとは、小学校5、6年に同じクラスで席も近かったのを覚えている。たしか大マサくんや岡ヒロミさんなんかも近かったかな。覚えているのは私が「ハナクソ、ほじる?」と、なぜか彼女に質問し、彼女が「うん。」と答えていたこと。レディに何つーこと訊くのかと、今思うととんでもないのだが、恐らく女性に対してそういうことを一度は訊いて確めてみたいという、当時の子どもとしての素朴な発想だったのだと思う。挑発するとかイジメるとかいう意識はなかったと思う。たぶん。(何かスゴイ言い訳してる感がありますが(汗。)おそらくこのやりとりが記憶に残っているのは、彼女が即座に「うん。」と答えたからだと思う。当たり前のように答えて、私も当たり前のように聞いたのだが、これはやはり当たり前のことではなく、ふつうであれば「ヤダーッ」とか「バカじゃないの!!」という反応があって然るべきところ、それを事も無げに返して見せたところに彼女の飾りの無さと腹の座ったところを感じたのだろう。だから心に残っているのだと思う。

リョウコさんは、現在新しい仕事にチャレンジ中。かつて河北新報で執筆されていたコラムでは何度も楽しませていただき、また、勉強させてもいただきました。感謝であります。彼女のこと、今後も持ち前の行動力を発揮し活躍されることと思います。

この後、中学の修学旅行で東北本線の「ひばり」や「はつかり」に乗る練習を体育館でしたとか、リョウコさんが修学旅行の食事でタバスコをケチャップと勘違いして卵焼き全体にかけて食べて大変なことになった話(これは「甘くない話」としてコラムに昇華されたそうです)、石中入学式は門中の体育館でやったとか、その時ケヅカくんが門中の校内に「あるべき髪型」みたいなポスターを見て「やだな」と思ったとか、石中が坊主を止めることに決めたのが入学直前だったので、それまで坊主にすることで悩んでいたアキオくんが、その知らせを聞いてむしろ坊主にしたとか(腹が立ったのか何なのかは分かりませんが。坊主にしたのは生涯その一度とのこと)、ナリタさんは花屋を切り盛りし始めてから物凄く喋るようになったとか、ジンくんはこないだ会ったらエライ太っていたとか、門中は校舎が火事になった後、石中の柔道場のあった建物に間借りして授業を行っていたとか、ケヅカくんは今年の石巻でのコンサートは6月開催だったとか、トッショロがリョウコさんと印刷つながりで盛り上がるとか、まあその他にもいろんな話に花が咲き夜は更けていったのであった。

紀州屋でとりあえずビールの後、伯楽星(宮城の日本酒)やらハイボールやらウーロン茶やらをやり、9時頃から2軒目の居酒屋で11時頃まで会は続きました。皆さまお疲れ様でした。大変楽しかったです!!


付記1
 私の聞いていた話、覚えている話ばかりで申し訳ないです。付け加えることありましたら、コメント欄にご投稿ください。

付記2
 今年は主にこんなのを聴いております。↓と言いますか、最近新曲を漁ってません。ま、そのうち。

01.Sia - Chandelier (Official Video)…この少女ダンサーはアメリカのスタ誕的な番組出身らしいです。→訳詞 およげ!対訳くん(こちらのサイトは本文のみならずコメント欄にも歌詞についての興味深い解釈・情報が見られます。とりわけSiaがクリエイターとしての立場とバセドウ氏病で変化した自らの姿とを気に病んだことを考えると、彼女は傷つき苦悩する自己を聖なる少女に仮託したのではないかと思えます。)
02.Sia - Elastic Heart feat. Shia LaBeouf & Maddie Ziegler (Official Video)…→訳詞 およげ!対訳くん
03.Selena Gomez - The Heart Wants What It Wants (Official Video)
04.Ariana Grande - Break Free ft. Zedd
05.Fifth Harmony - Sledgehammer
06.Taylor Swift - Shake It Off
07.Calvin Harris - Outside ft. Ellie Goulding
08.P!nk - Try
09.KONGOS - Come with Me Now…訳詞→およげ!対訳くん
10.Paramore: Ain't It Fun [OFFICIAL VIDEO]…訳詞→およげ!対訳くん
11.PARTYNEXTDOOR - Recognize ft. Drake
12.Wiz Khalifa - Promises [Official Video]
13.Maroon 5 - Maps (Explicit)
14.Drake - Take Care ft. Rihanna…訳詞→およげ!対訳くん
15.Bruno Mars - Locked Out Of Heaven [OFFICIAL VIDEO]
16.will.i.am - Scream & Shout ft. Britney Spears
17.Rihanna - What Now (Official)…訳詞→およげ!対訳くん
18.Eminem - Love The Way You Lie ft. Rihanna
19.The Fault In Our Stars - Charli XCX - Boom Clap
20.Earned It (Fifty Shades Of Grey) (From The "Fifty Shades Of Grey" Soundtrack) (Explicit...
21.Echosmith - Cool Kids [Official Web Video]
22.Gwen Stefani - Baby Don't Lie
23.Imagine Dragons - I Bet My Life (Audio)…訳詞→およげ!対訳くん
24.Sam Smith - I'm Not The Only One…訳詞→およげ!対訳くん
25.Echosmith - Cool Kids [Official Music Video]…今、これが一番のお気に入りです。訳詞→およげ!対訳くん

付記3
 なでしこジャパンの健闘を祈ります。

追記(2015/06/30)
 話題に挙がっていたので貼っておきます。
The Beatles - And I Love Her

2015 川開き帰省01 (画像・動画のみ)

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川開きに帰省しました。

本文が完成するのが先になるので、とりあえず画像と動画をアップします。
7月30日から7月31日にかけてです。

 

 

20150731 川開き帰省01

※ 画面中央▲もしくは画面左下▲をクリックするとスライドショーがスタートします。画面右下角をクリックすると拡大します。取り消し(キーボード左上角のEsc)をクリックすると元に戻ります。

 

 


20150731 石巻 川開き 帰省01 孫兵衛船競漕 ブルーインパルス 慰霊祭 流燈 供養花火

※ 画面中央▲をクリックすると動画がスタートします。画面右下角をクリックすると拡大します。取り消し(キーボード左上角のEsc)をクリックすると元に戻ります。

 

 


付記

 今年見た映画(1996年作品ですが)の中で最もお気に入りになること確定の作品のサウンドトラック。The English Patient は「イギリス人の患者」の意。冒頭の歌は Marta Sebestyen というハンガリー人の曲です。

The English Patient - Soundtrack - 01 The English Patient


2015 川開き帰省02 (画像・動画のみ)

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8月1日ぶんです。

写真

20150801 石巻 川開き 帰省 02 パレード・花火

※ 画面中央▲もしくは画面左下▲をクリックするとスライドショーがスタートします。画面右下角をクリックすると拡大します。取り消し(キーボード左上角のEsc)を押すとと元に戻ります。

 

動画 

2015 0801 石巻 川開き祭り 帰省02 パレード編

 

2015 0801 石巻 川開き祭り 帰省03 花火編

 ※ 画面中央▲をクリックすると動画がスタートします。画面右下 Youtube をクリックすると Youtube サイトに移動します。Youtube サイトに移動してから画面右下角をクリックすると拡大します。取り消し(キーボード左上角のEsc)を押すと元に戻ります。

 

 

 

 

 

付記

 山下達郎の on the street corner はドゥーワップ (doo-wop) を集めたアカペラアルバムですが、その元ネタを集めたプレイリストを見つけました。比べて聴くと面白い。

 こちらは Remember Me Baby の山下Versiobn。

Tats Yamashita - Remember Me Baby


 こちらは元のRemember Me Baby。

The Chiffons :::: Remember Me Baby.


 アルバム中最も好きな Blue Velvet は山下 Version は見つからないので興味のある方は買って聴いてください。元ネタのみ貼っておきます。

CLOVERS - BLUE VELVET

 

 こちらが元ネタ集(プレイリスト)。

 

 

 大滝詠一さんのこの曲はいいですね。車のCMで見つけました。

☆カナリア諸島にて [大瀧詠一 ロング・バージョン]【HD】

 

 

 

 

追記(20150823)

on the street corner の Alone とDrip Drop 及びその元ネタを追加しておきます。

Tatsurou YamashitaーALONE

 

Frankie Valli & The 4 Seasons Alone

 

 

Tatsuro Yamashita - Drip Drop (acappella)

 

The Drifters - Drip Drop

20150802 石巻 川開き 帰省 03 8月2日の石巻(写真のみ)

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8月2日の石巻のようすです。

 

20150802 石巻 川開き 帰省 03 8月2日の石巻その1

 

20150802 石巻 川開き 帰省 04 8月2日の石巻その2

 

※ 画面中央▲もしくは画面左下▲をクリックするとスライドショーがスタートします。画面右下角をクリックすると拡大します。取り消し(キーボード左上角のEsc)を押すとと元に戻ります。

 

 

 

付記

 Cool Kids もいいですが、このへんも。

Echosmith - Bright [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

Echosmith - Come Together [Official Music Video]

 

20151122 等々力陸上競技場に行ってきた

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  サッカー観戦に行ってきた。(川崎フロンターレvsベガルタ仙台)

 
 きっかけは11月19日朝日新聞神奈川版朝刊「がんばっぺし陸前高田 フロンターレ、22日にイベント」の記事。
 
 (新聞記事、クリックして拡大)

 岩手県陸前高田市とサッカーJリーグ川崎フロンターレがコラボレートして「がんばっぺ陸前高田」なるイベントを開催。
 川崎市民であり、最近メインスタンド改装した等々力陸上競技場を見てみたいというのもあり、しかも対戦相手はベガルタ仙台。
 しかも岩手の地酒「酔仙」の復興第1号原酒「雪っこ」が販売されるというのではないか。
 これは行かねばなるまい。

 ということで、土曜日にチケットを予約。
 実は先月行われた川崎vs浦和戦ではチケット完売で観戦できず、川崎のホームゲームはプラチナチケット化しているのかと、今年の観戦は諦めていた。ところが幸い新装なったメインスタンド前列の席がとれ(ネット販売、セブンイレブンで発券)、勇躍行ってきたのである。

 本日はやや肌寒い曇天。完全冬装備で臨んだが、気温は15度前後と、武蔵中原駅から競技場まで15分ほどの道のりを歩く間、すっかり汗ばんでしまった。
 競技場に近づくと既にサポーターの雄たけびが辺りにこだましている。いい雰囲気。
 試合前に陸前高田のイベントに寄ると、ご当地の産品や料理を販売しているのだが、すさまじい行列。

(焼き牡蠣売場、クリックして拡大)

 試合開始まで30分もなかったので、まずは試合会場へ。

 等々力陸上競技場は、かなり前(ヴェルディ川崎の時代)に行ったことがある。その時の印象は、陸上競技のトラックがあるためにピッチと客席の間にかなり距離があり、しかも観客席の勾配がなだらかなため、後方の席は試合が非常に見にくいというものであった。
 当時は三ッ沢競技場に横浜フリューゲルスの試合を何度か見に行っており、そこは球技専用のスタジアムなので、ピッチと客席の距離が4,5m。選手のプレーをド迫力の近さで見ることができた。しかも、ストイコビッチやジーニョ(ブラジル代表でアメリカW杯優勝時のレギュラーメンバー)、全盛時の前園真聖など、内外のスター選手の存在もあり非常に見ごたえを感じたものだった。

 新しくなった等々力のメインスタンドは、陸上のトラックはあるものの、ピッチとの距離をFIFA規定の最小限にしたという通り、なかなか近く感じる。私は下層(1階席)で見たが遠さは感じなかった。ただ、プレーを俯瞰してみるには、2階席最前列がベストのようだ。( ↓ メインスタンド上層前列からの眺望)

 試合は、両チーム共守備がしっかりしているのか、チャレンジングなプレーが少なく、やや刺激不足。もっと仕掛けるシーン、勝負するシーンがほしい。川崎は理論派の風間監督のパスサッカーが今ひとつ機能せず、しかも中村憲剛頼み。仙台は守備と連携がしっかりしているが、これもなかなかゴール前まで迫れない。でもアウェーで来たサポーターは全員がジャンプしながらの応援で楽しそう。
 後半に川崎が大久保選手が3年連続得点王を決めるファインゴールを決め、1-0の勝利。できれば3-3ぐらいの点の取り合いをして引き分けがよかったが、川崎市民としてはメデタシである。

 仙台では7番のDF奥埜という選手が上手だなと思った。
 生観戦すると、トラップの巧拙や蹴ったボールの回転がよく分かる。特に基本中の基本であるインサイドキックがその選手の実力を図るバロメータになる。

 それにしても、メッシとかCロナウドとか、生で見たらすごいだろうな、等々力競技場はきれいになったし見やすくなったな、憲ちゃんは野球などの試合を見るときは「練習が面白い」と言っていて、たしかに試合前の練習は面白く、あのマラドーナなどはウォーミングアップ自体がファンのお目当てだったりした。

 maradona warm up 

 この日は結構試合開始ギリギリの入場で試合前のウォームアップを見ることができなかった。これが本日の反省点かな。

 などと思いながら、久々のサッカー観戦を終え、あらためて「陸前高田ランド」へ。

 すると、嗚呼、お目当ての地酒「酔仙」や葡萄酒や焼き牡蠣が完売!! 何とか残っていた「海の見えるりんご園 りんごジュース」を、同じ「飲み物」ということで買い、晩秋の等々力競技場を後にしたのである。

(クリックして拡大)

 いい一日だった。

 

20151122 等々力陸上競技場に行ってきた

( ↑ 今回の写真は全てこちらから見られます。左下角をクリックでスタート・ストップ、右下角をクリックで拡大できます。)

 

【20151122 等々力陸上競技場に行ってきた 川崎フロンターレ vs ベガルタ仙台】

 

 【ハイライト】川崎フロンターレ×ベガルタ仙台「J1リーグ 2nd 第17節」

 

 

付記1
 川崎フロンターレは今年9月に岩手県陸前高田市と「高田フロンターレスマイルシップ」なる友好協定を締結。相互の支援・交流を行っていくとのこと。

高田フロンターレスマイルシップ
 

付記2
 今年見た映画のサウンドトラックを集めてみた。 2015 cinema

 

付記3

 現在写真のアップロードが不調です。写真は明日以降追加する予定です。

(追記 20151123)
 写真を本文とフォトチャンネルに追加した。ただし、縦のものが横になっていたりと修整の要有ります。
 アップロードが不調だったのは、写真一枚あたりの容量がオーバーしていたためで、一度縮小してからのアップロードなので少し時間がかかっています。

(追記 20151124)
 試合のハイライト動画を追加しました。

20151125 “チチウエー”  ー 丹野征一 先生逝く ー

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 鰐陵(石巻高校)同窓の坂本くんより国語の丹野征一先生が21日朝に亡くなったとの連絡を受けた。

 通夜、火葬は済み、葬儀は本日午後1時より大街道の清月記にて行われたようである。

 *  *  *  *

 丹野先生に私にとって2年生時の担任であり、3年間現代国語の先生であった。

 丹野先生の授業についてはいくつか記憶に残っていることがある。

 ひとつは修学旅行中に先生が創った俳句のことである。現国の授業中に旅行を振り返った時のことだったと思うが、たしか初句が「胡坐して」であった。「胡坐」(あぐら)という言葉を漢字で目にした最初の記憶である。 

 ひとつは「所謂」の読みである。
 これの読みを皆に問うて、私は「しょせん」と答え、それに対して先生は「所詮」と板書で応じた。

 ひとつは「阿Q正伝」のことである。
 授業中、おそらく魯迅の「故郷」か何かを扱った時ではないかと思うが、この作品の話になって、先生が、
「読んだことある人~」
と聞き、私が手を挙げると、
「分かった?」
と訊かれ、私が、
「よく分からなかった」
と答えると、
「分かんなかった…。」
と、「まあ、そうだよなあ~」という感じで引き取られた。
 「分からなかった」ことをはずかしく思う気持ちはなかったが、「分からなかった」ことをそれはそれで理解できると応じた先生の態度に、少しの安堵とともに、文学作品を視る際の或る何事かを伝えられたように思う。
 中国の近現代史についてある程度の理解がないと何ゆえに狂人とも思える人物を主人公に描かねばならなかったのかはたしかに理解しがたい。
 文学(の歴史)がそれを生み出した社会(の歴史)と分かちがたく結びついていることを明確に意識させられた最初の経験といってよい。

 そして「チチウエー」である。
 先生は、私の担任をされている頃、三人目のお子さんが生まれ、いずれも女の子さんであった(と記憶している)。お子さんたちには、ウチは貧乏だから中学を卒業したらみんな働くのだよというようなことを早くから教育(?)していたようなことをおっしゃっていた(ような気がする)。
 それはともかく、お子さんたちに自らを「父上」と呼ばせていたので、帰宅すると幼子たちが「チチウエー」と言いながら駆け寄ってくると相好を崩して話していたのが記憶に残っている。
 子煩悩で、少しお茶目な人。それが先生についての私のイメージである。
 
 感謝とともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 *  *  *  *

…亡くなったことはうれしいことではないが、先生に湿っぽい雰囲気は似合わない気がする。だからこんな歌を。幸せな家庭を築かれたであろう先生に捧ぐ。

Overjoyed - Stevie wonder - Lyrics


付記1
 坂本くんによれば、今年度同窓会誌鰐陵51回生たよりにて、現在勤務している東松島市立大曲小学校で,野菜博士として地域活動、学校運営に協力していただいている阿部ひで太君(ラグビー部)について寄稿したとのこと。来年2月頃発行とのことです。

付記2
 鰐陵同窓会のHPを覗いてみますと、卒業生のみならず在校生の活動状況も知ることができます。野球では来年の春の選抜21世紀枠推薦校になったことが伝えられている。

 → 春のセンバツ 石巻が21世紀枠推薦校に

 最終選考は来年1月。楽しみである。

※ 鰐陵同窓会HP

 

カレンダー 20151231

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 師走の初め、鰐陵(石巻高校)柔道部後輩の鈴木君から宅急便が届いた。中にはカレンダーが5部入っていた。

 「2016 石巻圏カレンダー 変化する力 心に残そう! わがふるさと・浅井元義スケッチ石巻Ⅲ」というものである。

 パラパラとめくって懐かしいな、と思った。
 それは津波で失われるよりも以前に既に失われていた、昔日の石巻の姿を収めていたからだ。

 とりわけ心ひかれたのは「6月 河畔の旅館 石巻中央三丁目 (1984)」である。
 かつてレストラン「たわらや」と住吉公園の間には、宮城交通のバス駅や船着き場とこの旅館があった。茶色っぽい外観が今でも脳裏によみがえる。
 千葉甚旅館といって、表記によると明治26年6月開業、皇族や著名人が多数宿泊した老舗旅館。描かれているのは1984年。
 そういえば、この旅館の娘さんではなかろうか。2歳下の女の子と小学校時代このあたりで遊んだ覚えがある。可愛らしい子だった。

 描いた浅井元義さんは石巻市出身。これまで石巻スケッチシリーズⅠ~Ⅶ(日貿出版)があり、宮城県芸術選奨やいしのまき大賞を受賞している。

 かつての石巻の姿に思いをはせながら、年越しをする次第である。(鈴木君、ありがとう。)

 皆さま良いお年をお迎えください。

 


****


付記1

 2部余っていますのでご希望の方は住所をお教えくだされば無料でお送りします。

付記2
 カレンダーの各月は以下の通り。( )内は描画した年。

 12月 文化センター遠望 石巻市南浜町一丁目 (1990)
 1月 西内海橋 石巻市中瀬 (1990)
 2月 砕氷塔のある魚市場 石巻市川口町一丁目 (1990)
 3月 春を待つ浜 雄勝町水浜字水浜 (1990)
 4月 陶器店 石巻市中央三丁目 (1984)
 5月 鳴瀬川 鳴瀬町小野 (1987)
 6月 瓦工場のある踏切 石巻線・小川町踏切 (1996)
 7月 河畔の旅館 石巻市中央三丁目 (1984)
   8月 昼下がりの漁港Ⅰ 北上町十三浜小室 (1997) 
 9月 運河沿いの駅月 仙石線・野蒜駅 (1995) 
 10月 支倉常長出帆の地 石巻市月浦字月浦 (1998)
 11月 川の見える路 石巻市門脇一丁目 (1990)
 12月 北上河口の街 石巻霊園から (1990)


 因みに鈴木君のお気に入りは「6月 瓦工場のある踏切 石巻線・小川町踏切 (1996)」で、自宅のすぐ裏で、子供の頃線路に五寸釘を並べて怒られたそうです。


付記3
 石巻かほくにも記事が載っていました。→古里をスケッチ 石巻出身の浅井さん、2016年カレンダー作成

(魚拓)


付記4


 今年見た映画ベスト4

 ①イングリッシュ・ペイシェント(1996 米)
 ②桐島、部活やめるってよ(2012 日)
 ③ショーシャンクの空に(1994 米)
 ④あの頃ペニー・レインと(2000 米)

 

付記5
 今年つぶやいた曲。

 

 

20160408 桜 in 生田

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先日4月8日、近所の生田緑地の桜を見てきた。

盛りは過ぎ、天気も曇りだったが、花は十分残っており、楽しめた。

葉の緑と花の薄いピンク色とのカップリングもなかなかである。

生田緑地には日本民家園や岡本太郎美術館がある。(藤子・F・不二雄ミュージアムも) そのうち足を延ばしてみたい。

 

20160408 桜 in 生田

 

石巻の桜は4月下旬が見ごろのようだ。

→ 全国お花見1000景 日和山公園

タイミングが合えば見に行こうと思う。

 


*   *   *   *   

付記1

今年に入って見た映画でピカ1は「ドクトル・ジバゴ」。革命期のロシアを舞台に、歴史の流れに翻弄される男女の数奇な運命を描いた叙事詩である。1965年、デヴィッド・リーン監督。

Maurice Jarre 映画「ドクトル・ジバゴ」 Lara's Theme

 

付記2

今年これまでつぶやいた曲。
201601-04 favorite

20160716 螢 in せたがや

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ホタル祭りがあるというので仕事帰りに寄ってみた。

20160716 せたがやホタル祭りとサギ草市

20160716 せたがやホタル祭りとサギ草市

小田急線の豪徳寺駅で降り、50mほどのところにある山下という駅からチンチン電車の東急世田谷線に乗り、2駅めの上町(かみまち)という駅で降り、歩いて5分ほどのところに世田谷代官屋敷があり、そこで「せたがやホタル祭りとサギ草市」が催されていた。

祭りの概要と「螢とさぎ草伝説」については次のリンクをご覧いただくとして…

せたがやホタル祭りとサギ草市
螢とさぎ草伝説

 

ホタルで思い出すのは、「蛍三七子」(ちばてつや作)である。

ぐうたらで呑兵衛の大学生が貧乏旅行の最中、田舎町の不良少女のケンカに巻き込まれて大怪我をし、少女の家に逗留することになる。少女の家は和紙を漉く仕事で生計を立てているが、意外なことに少女は蛍を育てていた。溺れた自分を助けて命を落とした精薄の兄がホタルを大事にしていたことから、少女は蛍の生息地を保護していたのだ。しかし蛍の育つ清流がダム建設のためにつぶされることになる。大学生は少女と恋に落ち、ダム建設を阻止しようとする。ラストの蛍の乱舞が印象深い。

「蛍三七子」の画像検索結果

ちばてつやの作品の中でも名作の一つであり、私の蛍のイメージは小学生時代に読んだこの作品によって決定されたといっていい。

もう一つ蛍で思い出すのは「水無月の夜」(井上陽水作)である。一番の歌詞だけ引用しよう。

****
螢狩りから もどった君は
足も洗わず 籐椅子に
川むこうには たくさんいたと
ゆかたのすそをぬらして
水無月の夜 送り火の前
****

水無月の夜(井上陽水) cover:numa chan

上の動画はカバーの良作。興味のある方はオリジナルを聴いてみるといい。とてもダイナミックで深みがある。

 

歌でいえば、もう一つ、幼い頃から馴染み深い「ほーほーほたるこい…」であろうか。水が「あまい」という意味が子どもの頃は分からなかった。

ほたるこい+Photo.wmv

 

美しく儚い。ロマンチック。その乱舞は生命力の奔流。(蛍の明滅は交尾のサインと言われる。)それが私にとっての蛍のイメージだ。

世田谷で見た蛍は、いくつかの観賞用の箱、といっても高さ2m程あるものだが、その中に収められたものを網越しに見るもので(ドーム状のテントを張って、もう少し大きな空間で蛍を放っているスペースもあった)、蛍の明滅や飛ぶ様子を見ることはできるが、野外を乱舞する姿は望むべくもない。いわば虫籠に入ったカブトムシを見るのと同じである。

都会で蛍を見るとなれば、こういうところであろう。

しかし私は蛍の姿を愛でる機会を与えてくれたことに感謝する。そして蛍という繊細な生き物を育てる仕事に敬意を表する。とりわけ子どもたちにとってこの経験は大きな意味をもつだろう。

私の蛍のイメージは満足させられなかったが、世田谷の蛍は、蛍の乱舞を見てみたいという私の気持ちを一層強くさせてくれたのである。

 

付記1
 今年も川開きに帰省する予定です。

付記2
 「蛍三七子」では、焼酎といえば「芋」、というイメージも植えつけられた。


20160731 石巻川開き祭り帰省01 ―石巻は今年も熱かった!!(いろんな意味で)―

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7月30日から8月3日にかけて、石巻に帰省した。

7月30日に自宅を立ち、仙台に9時過ぎに到着。当夜は当地に宿泊し、7月31日早朝、始発で石巻に到着した。

仙台での宿の予約はまたしても直前になってしまった。昨年は比較的すぐに見つかったが今年は10軒ほど問い合わせてようやく見つかった。後でわかったことだが、石巻でミスチルらが催すアートフェスのために数万人が全国から結集していたため、仙台あたりのホテルが軒並み満室状態だったらしい。

6時半に石巻駅着、大文字屋へは7時着。シャッターが閉まっていたので、朝っぱらから電話でたたき起こしてしまった。

なぜ7月31日早朝着のスケジュールかというと、昨年より川開き祭りの全行事の取材を計画していたからである。

川開き祭りのHPを見ればわかるが、祭りのスケジュールにはあまり一般人には馴染みのない行事が組まれている。これは川開き祭りのそもそもの起源や目的・趣旨に関わるものなので、花火やパレードだけではない、これら行事についても一通り取材しておきたいと思ったのである。

その行事というのは以下の通りである。

 〇川開き祭典(31日8:00,住吉公園)
 ■漁港祭・大漁安全祈願祭(31日9:00,石巻 魚市場)
 〇川村孫兵衛翁報恩祭(31日10:00,日和山公園)
 ■川村孫兵衛翁墓前供養祭(31日16:30,普誓寺:中浦2丁目)
 〇縄張神社祭(31日17:30,縄張神社:千石町)
 〇東日本大震災供養祭(まちなかマルシェ:中央2丁目)
 〇川村孫兵衛翁報恩供養祭(〃)
 〇川施餓鬼供養祭(〃)
 〇流燈(5,000個)(北上川)

 〇孫兵衛船競漕(予選レース)(北上川)
 〇ミニ孫兵衛船競漕(予選レース)(北上川)

 〇供養花火(中瀬)
 ■川清め式(煙火本部・中瀬)
 〇花火大会(中瀬)

これまで未取材であったのが■マークの行事で、これに加えて「縄張神社奉納大綱引き大会」(31日11:00,立町大通り)も未見だったので、今年チャレンジすることにしていた。

*   *   *   *

魚市場には徒歩で向かった。バスもあることは分かっていたが、かつて自転車で泳ぎに行ったことがあるので距離はある程度つかめていた。実際歩いて感じたのは震災の被害の跡がかなり見えなくなっていたことだ。特に、湊小がきれいになっていたのは見た時にはとても喜ばしい気持ちになった。

大門崎までは50分ほどで着いた。大文字屋を出たのは7時半。途中あたりを確認しながら歩くので、時間がかかる。牧山の登り口が見える。かつて何度か登ったこの山に、いつかまた登ってみようと思うが、この日はまず魚市場が目的地なので、あの見慣れた歩道橋をくぐって渡波方面に向かった。

百メートルほど進んだところの信号を右に曲がるとあとは真っ直ぐ行くだけだ。津波の直前の状況は知らないが、現在は整地されて道路も整備され、民家や水産業の工場、大型パチンコ店などが建っている。津波の爪跡を見つけるのは難しい。

この日は折しも梅雨明けで、直射日光が突き刺さる陽気で、関東と変わらぬ暑さであった。午前中から半袖&ハーフパンツで歩き回っていると、かなり体が火照ってくる。

信号から10分程歩くと魚市場で、東西に全長数百メートルに渡るその威容はもちろん、この日の快晴で、臨む海も広大で輝やいていた。

8時半には着いていたので、行事の場所の細かい確認をした。

行事は大漁と安全を祈願するととともに石巻の水産業発展を祈念するもの。漁港岸壁側と、少し陸側にある弁天堂(守護神の弁天様を祀ってある)とで、それぞれ神事が行われた。漁港側では浅野亨氏(石巻川開祭実行委員会 会長・石巻商工会議所会頭)と河村建夫氏(衆議院議員・山口第3区)の挨拶があり、町の将来や産業振興への抱負と課題が述べられた。

これらはいわば「儀式」であるが(動画で見ても退屈なものだが)、だからといって中身がないものではない。祭り事=政であるその部分を知ることは、祭りの意味の中心部分を知ることでもある。

ただ、昨年もこの種の神事を見たが、みなさんガチガチに緊張というより、祭りの雰囲気も手伝ってか、真剣ではあるがそこそこリラックスしながらの参列に見えた。

神事はそれぞれ20分程度かかった。

ウミネコの声がいたずらっぽくあたりに響いていた。

*   *   *   *

帰路は大門崎からバスを利用。一日に数えるほどしか便がないので、事前に時間を調べておいた。今はネットでいろいろ調べられるので便利だ。

次に向かったのが「綱引き大会」である。

そもそも「縄張神社奉納」の綱引き大会であるが、「縄張神社祭」という行事が17時30分から神社で行われるのだが、それに先立って綱引き大会が行われる。縄張神社の由来は、川村孫兵衛翁が縄を測量に使い、それを奉納したことによる。

綱引き大会でも神事は行われ、市長、主催者の挨拶、審判のルール説明の後、競技がスタート。学校や会社でチームを組んでの参加が多いようだ。どこが優勝したかは定かではないが、3本勝負でなかなか勝負のつかない熱戦もあり、結構な盛り上がりである。孫兵衛船競漕と同様、見るにしろ参加するにしろ、もっと多くの人が楽しめるイベントだと思った。

*   *   *   *

一度大文字屋に戻って一休み。恵美ちゃんが用意しておいてくれたという鰻重と肝吸でパワー充填。この日はこの後、普誓寺で行われる「川村孫兵衛翁報恩供養祭」に行く予定である。

その前に平塚くんの家に寄っていこうかと思っていると、兄から母に電話があり、母をお風呂に連れて行く話をしている。私も外出すると言うと、どこへ行くんだという話になって、普誓寺へ行った後、ミスチルが来るというアートフェスの様子うかがいに雲雀野に行くというと、車に乗せていくと行ってきかない。この手のことはいつものことで、話すだけ時間のムダなので、わかったわかったと言って連れて行ってもらうことに。

3時過ぎに石小裏で待ち合わせて合流。普誓寺には車で行くと行事予定より1時間以上早く到着しそうだったので、それならということで先に雲雀野に行くことに。

アートフェスなるものがそもそも何なのか、よく知りもせず、たんに「ミスチル」という名前だけで、興味本位で行くのだが、この催しがあると知って、ネットでちょっと調べただけでも、2日間で4万人が集まる。あの雲雀野に(かつて野球をして遊んだり、トレーニング場所だったりした)、という感慨もあったし、イベントの雰囲気をまずは感じて、それからそれがどんなものであるかを調べてみようと思っていた。

と、行ってみると、そこは、私が思っていた雲雀野海岸(海底の浸食が激しく泳ぐと危険と言われ、十条製紙の排水の泡が波打ち際にモコモコ打ち寄せていたあの海)ではなく、雲雀野埠頭という、釜工業港寄りの海に大きくせり出したもの凄く広いエリアだということが分かった。しかも舗装されていないので、車だが行けども行けども前に進んだ感じがしない。すると、遠くの方に、砂漠に忽然と現れたがごとくステージやらテントやらが見えた。

その日の魚市場からの帰り道、内海橋のあたりで、「港はどっちですか。雲雀野ってどっちですか」と巡査に訊いている二人組の若者(徒歩)を見かけて、その時は「あー、ミスチル見に来たんだな」と思ったが、今にして思えば彼らが会場に辿り着けたかどうか心配である。あまりに遠すぎる。(後で調べたら、会場へは石巻駅からもシャトルバスが出ていた。片道500円らしいが、さすがにバスだろ、と思った。)

会場は警備が厳重で、制服の警備員から、Tシャツ・短パンのスタッフ警備員まで、かなり神経質な目で見ている。私としては、ちょっと演奏音や歓声が遠巻きに聞こえればいいかぐらいに思っていたが、どうもそれも無理そうなほど遠く、しかも警備も厳重である。そういうわけで、辺りを車で走らせて引き返したわけだが、途中演奏音や歌声が聞こえるところもあって、ちょっと来た甲斐があったと思ったわけである。

因みに、というか、これが本来は本題なわけだが、アートフェスとは正式には、

REBORN ART FESTIVAL / ap bank fes 2016

という。2017年に行われる REBORN ART FESTIVAL は、東日本大震災から5年を経た石巻・牡鹿の人々と様々なジャンルのアーティストが協働することで、過疎地域と都市の循環を生み出し、地域振興・復興につなげるイベントとのこと。この日のイベントはその前年祭というべきもの。

アートといってもジャンルは様々で、「食」もその一つで、実際会場では石巻・牡鹿の水産物等を使った料理を、地元及び日本各地のシェフが料理し提供するブースをはじめ、会場のあらゆる施設にその趣旨の創意が凝らされているという。

それこそ因みだが、大文字屋の店先では毎年川開きにお得意さんの料理屋さんが露店を出して料理を売っているのだが、今年はこのアートフェスに出店している。話によると、店主が若い頃から音楽好きで、その関係もあるのだろうが、限られた店しか参加できない中の出店とは腕が認められたということであろう。

普誓寺には3時40分頃着く。行事まで1時間近くあったので周りを見て歩く。普誓寺は中浦という海に近い平地の地区にあるので、震災時はたいへんだったろうと思うが、実際本堂はまだ修理の必要な状態らしくブルーシートがかけてあった。お墓も限られた区画に集められている状態のようだ。

この寺には川村孫兵衛翁の墓があり、供養祭が行われる。墓は本堂から少し離れた場所に特設されている。今年は川村孫兵衛翁が出た山口県萩市と姉妹都市協定が交わされたこともあって、川村孫兵衛の子孫にあたる方が招かれ、交流を深めた。

動画で分かる通り、行事中には読経、焼香の途中に住職より「御詠歌。」の言葉があり、傍らに詰めていた8名ほどのご婦人方が一斉に詠歌を歌い始める。それは5分間ほどであったが、何とも心鎮められる感銘深いものであった。

行事終了後に失礼を顧みず関係者に伺うと、御婦人方に訊いた方が早いだろうと話をつけてくれた。リーダー格の御夫人のお話によると、普誓寺の前住職が「かにかま講」なるものを行っていた際の文面を歌詞とし、それに住職が節をつけ、供養の際に御詠歌として歌うようにしたのだという。

供養する人ごとに歌詞はちがい、孫兵衛翁の場合、次の通りである。(歌詞を印刷をした紙を分けていただいたものに拠る。)

◆   ◆   ◆   ◆

帰命頂禮 孫兵衛翁 伊達の御家に 身を寄せて

          拍速 1/43 しとやかに

(頭)
きみょうちょうらい まごべえおう

      い
だてのォ お えにみをよせて

拍数三十二拍 約四十五秒


願いをたてて奮い起ち 盡す誠心五十年

雲に連なる日高見の 弓■の泉より流れたる

心は深く掘る川に 船を通さん我が願い

馬子山を巡り踏査して 物見の松に縄を張る

元和の九年民草と 労苦を共になしとげる

三十五反の帆を揚げて 行くよォ仙台石巻

護る御寺や普誓寺の 堂前のォ桜木をも尊しや

輝く今日のォ御栄えは 町のォ恩人孫兵衛翁

忘れてならじ土地の人 町のォ恩人孫兵衛翁

(捨鈴ナシ) (礼)

◆   ◆   ◆   ◆

(この日は尺の関係で「馬子山~」と「元和~」の2行は割愛とのこと。)

声を合わせ、調子を合わせ、決まった時間の中に収めて歌うのはかなり難しそうである。御夫人の話によれば週1回「御詠歌講」という名目で集まり練習している。最近は週1はきついので2週に一遍練習している。メンバーは檀家・宗派を問わず参加しているとのこと。

御詠歌そのものは仏の徳を称える五七五七七の和歌だが、それを歌うのは正式な仏事ではなく、習俗に属するらしい。御夫人も最近メンバーが高齢化して成り手が不足気味だと話していた。

御夫人方の御詠歌の何に打たれたのか私自身にもよく分からない。仏教の無の教えが歌い手たちの無心や無私と重なって心に響いたのかもしれない、などと考えてみる。そしておそらく自分自身の中にもそれは沁みこんでいるであろうことも。いずれにしても今回の帰省で最も心に残った出会いであったことは確かである。

遠く雲雀野から巨大PAの音楽がかすかに響いていた。

*   *   *   *

この日は結局普誓寺から大街道、泉町を通り、住吉町の流灯、中央の震災供養を見て回ったのだった。

 

 

 

 

20160731 石巻川開き祭り 帰省01

(左下角をクリックするとスライドショーがスタート、右下角をクリックすると画面が拡大されます。)

 

20160731 石巻川開き祭り 01


付記1 …日本酒を買いに酒店に入るとクマモン印の焼酎が並んでいた。彼の地も震災に襲われた。一日も早い復旧・復興を願う。

付記2 …最近つぶやいた曲

20160801 石巻川開き祭り帰省02 ―パレードも花火も太陽も熱かった!!―

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川開き祭り二日目はパレードで始まる。

朝9時起床。前の晩に日本酒4合瓶(水鳥記)を空けてしまい、ややアルコールが残る中、中央3丁目に新しくできたというコンビニ(ローソン:寿通りを千石方向に向かう中央と立町の間の通りにできた石巻テラスというマンション内)でサンドイッチとトマトジュースとコーヒーを買って朝食とし、10時50分からのパレードに備えた。

この日も天気は快晴で非常に暑い。

スタートは、「2020東京オリンピック・パラリンピック聖火台・聖火リレー誘致トーチリレー」。続いて、「消防音楽隊パレード」。そして蛇田中、石巻中の吹奏楽、17小学校の鼓笛隊の演奏である。

と、消防音楽隊を撮影中にカメラにメモリー切れの表示!! 前日かなり撮影していたようで、慌てて交換するも、消防音楽隊はすでに数百メートル先に。(三脚を使用していたため、SDカード交換に結構時間がかかってしまった。)

撮り直しのために先回りして立町通りで再撮影。その後、徐々に定位置である中央2丁目京屋さん前まで戻りながらの撮影となった。

それにしても、中学生といい小学生といい大人といい、楽器演奏の音が通りいっぱいに響き渡るのは何とも壮快である。

最近はチアリーディングも交えたカラフルな行進も見られる。演奏曲は「風になりたい」(THE BOOM)や「鉄腕アトム」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」といった馴染みの曲から様々で、数年前よりも多彩になったようだ。(一時期「負けないで」が非常に多かった気がする。)

石小が校歌を演奏していたのはちょっと面白くまた懐かしかった。

(ちなみに石小の校歌はこちら→石巻小学校校歌)

今年は門脇小と石小が統合して最初の川開きパレード。そういうことも選曲の背景にあったのかもしれない。

鼓笛隊に続いたのがバルーンアート「空気の人」の展示。これは前日の Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016 ( Reborn-Art Festival 2017 の前年祭)に参加しているアーティスト鈴木康広さんの作品。2017年のフェスティバル開催をアピールした。

※Reborn Art Festival と鈴木康広さんについてはこちらも参照ください。→現代アート作家9組が“Reborn-Art”を発信

 

次は「林家たい平石巻応えん隊」のコスプレ(?)パフォーマンス。笑点の大喜利メンバー林家たい平さんは震災以来石巻支援の活動を続けている。昨年も縄張神社奉納祭りでお見かけした。

何でも落語家になることを決意した場所が石巻だったという縁だそうである。
→「林家たい平、復興支援に尽力誓う 石巻は「落語家になると決めた場所
毎年ボランティア寄席を行うなどの支援を続けているが、今年になってからは石巻からの「応援隊」が結成されるなど相互の交流も生まれているようだ。
→「落語家・林家たい平さんに恩返し 有志ら「石巻応援隊」を結成

次は沖縄のエイサー踊りである。私はこれを楽しみにしている。

音楽に合わせて太鼓を叩きながらのエネルギッシュで躍動感溢れる踊り、絣の着物の女性たちの手踊り、それに寄り添うちょっとユーモラスな京太郎(チョンダラー)と呼ばれる道化芸人。何よりも演じている彼ら自身がとても楽しそうだ。それにしても、なぜ石巻で沖縄の踊りなのか? 「エイサー石巻」代表の東恩納 寛武(ヒガシオンナ ヒロム)さんによると、東日本大震災で復興支援ボランティアとして来石、エイサー踊の起源が東北にあったことがこの伝統芸能を石巻で披露する決めてになったという。そのためのプロジェクト「沖縄の伝統芸能エイサーを宮城県石巻の石巻川開き祭りに呼ぼう!」 を立ち上げ。現在は石巻川開き祭り後の旧盆期間(8/19~8/21)に沖縄で開催されるエイサーイベントに石巻エイサー仲間を招くという相互の交流も実現しているようだ。
(エイサーについてはwiki記事参照。)

この後「縄張神社神輿(みこし)」。

高校2年の時に学校の先輩の声掛けで川開きの神輿を担いだことがあり、見た目の楽しさと裏腹の余りの重さに青息吐息、羽黒山の階段を一気に下る時「ここで躓いたら死ぬな…。」と思いながら駆け抜けた記憶があるが、そんなハードな神輿ではなく、そこそこソフトな神輿担ぎのようだった。「石巻かほく メディア猫の目」にこんな記事があった。

→「2016/08/01 石巻川開き祭り「縄張神社みこし」担ぎ手募集

神輿担ぎは担ぎ終わった後の解放感が素晴らしい。当時は終わった後にキンキンに冷えた炭酸飲料を浴びるように飲んだが、今ならビールを飲むのだろうな。この神輿にはなぜか座敷犬(この呼び方でいいのか?)の神輿もあり、虐待と誤解されないためにか交代で引かせていた。

「まとい万灯お会式行進」。「まとい」といえば「火消し」で、実際「火消し」の恰好をした男女がまといを振り上げながら行進する。

実はそもそも「お会式(おえしき)」というのが宗教・宗派の祖のための「大法会=祀り」であり、「万灯(まんどう)」はそのための明かり。「火消し」・「纏(まとい)」が登場するは、江戸時代あたりから火消したちがお会式に参詣するようになったからだという。

要は元々は宗祖の法要だったものに、火消したちが参加、安全祈願の意味もこめてまといを振るようになったようである。(詳しくはwiki記事参照。)そういうわけでよく見ると、行進者の法被には「立正佼成会」とあった。宗祖の入滅は祀るべきものであり祭るべきものなのだ。

万灯はそれほど大きくはなかったが、結構重く、一人で支えるのは難しそうだった。よく見ると、途中倒れそうになるなど、なかなかスリリングな行進であった。

 

撮影が一段落。涼を求めて広小路のコーヒーショップに入る。店の前ではパレードを終えたはずの沖縄エイサーの皆さんが踊りの披露を続けていてお店の人たちも見入っていた。

こんな陽射しの強い日は冷たい飲み物よりも甲子園球場名物の「かちわり氷」(ビニール袋に氷の塊数個と水を入れたもの。氷嚢にもなる)を売れば儲かるだろうと思う。特にアーケードが取り去られた立町大通りは直射日光に対してあまりに無防備である。かちわり氷を頭からかぶりたい気分になる。

クール・ダウン後、再び通りに。

「桃生(ものう)はねこ踊り」。

これも毎年楽しみにしている。何しろこの暑さの中、結構厚手の和装の女性が文字通り跳ねるように踊るのだ。とてもダイナミック。特に、踊りの途中から伴奏のスピードが徐々に上がり、それに合わせて踊りがテンポアップするシーンは壮観だ。オレンジ色の衣装と相まって燃え立つような石巻の祭りの午後を彩るハイライトといっていいだろう。

立町大通りから橋通りを見て回る。サルコヤ前では恒例の女性ライブ・コーラスとDJパフォーマンス、寿通りから橋通りは出店・露店で前進するのにひと苦労の混雑。報道によると今年は平日開催とあって2日間で20万人と昨年より2万人少なかったらしいが、それでもたいへんな人波である。

夕方6時30分より、花火大会に先立つ「川清め式」が中瀬で行われる。花火大会を直前に控え通行規制が行われているので、取材は無理かと思いつつ、漫画館への降り口付近で警備員に訊くと、個人の取材、というより立ち入りはNGとのことで、内海橋からの式典アナスンスを録音して取材‎に替えた。

これで昨年から企画していた川開き祭りの主要行事の取材を完了したものとする。少し安堵である。

本来であれば、昨年の取材についても文章で記録するべきところだが(昨年は写真・動画のアップのみ)、時間の制約から果たしていない。住吉神社の碑に記されている文言やその周辺を管理されている方のお話など興味深い内容がまだ記録できないでいる。これは今後果たすべき課題としたい。

それにしても様々な行事がある。

陸上のパレード、水上の孫兵衛船競漕、大綱引き大会、神事を含めた市の行事、ブルーインパルス、花火大会、その他にもお祭り広場では、フラダンス、チアダンス、ヒップポップ・ダンス、合気道演武、石巻日高見太鼓演奏、ヨサコイソ-ラン、石巻復幸踊りエンヤドット創作ダンス、果てしなく続く大漁踊りの列。まだまだ市街各所でイベントが行われていた。

石巻川開き祭り 市の行事スケジュール
石巻川開き祭り 陸上スケジュール

石巻川開き祭り 水上行事

旧安達酒店前(大昔に「もとの湯」があった辺り)のスペースではクラシック・ロックのライブ演奏が行われて、この夜は花火終了後の22時まで続いた。

こういう交流もあった。→震災犠牲ALTの遺志継ぎ 日米高校生が交流(河北新報)

こうして見ると、石巻川開き祭りが、非常に多くの人が参加する祭りであることが分かる。実際私自身も、小さい頃の七夕飾り作りから始まり、神輿担ぎ、出店手伝い、もちろん、露店めぐりや花火見物も満喫した。そうやって祭りの渦の中に巻き込まれ、その躍動の中にいることを楽しんだ。石巻の川開きはそんな祭りなのだと思った。

(動画) 20160801 石巻川開き祭り 02 パレード編

 

( ↑ 置物です。八幡屋さん前にあります。)

 

この日の夕方、時間を見て、故平塚達也くんのご実家にうかがった。近くに出店がでていて大音響で売り子が声を響かせていたので、おかあさん、これは避難しているだろうと思ったが、その通り留守だった。

夜7時30分からの花火大会。今年は佐藤外科の斜め前に7階建ての建物が建ったため、撮影場所を探し直さねばならかったが、その分いろいろな角度から花火を見ることになり、それはそれで面白かった。花火そのものは、ドンと腹に響いて迫力満点。後半は煙が滞留して想像の世界で花火を楽しまざるを得ないシーンもあったが、それでもとても楽しめた。この日は前日まで雨の予報が出ていたので、好転し花火が楽しめたのは御の字である。

昨年までに比べると花火の打ち上げ場所の幅が狭まっているのではないか、それが煙の滞留の原因の一つではないか、などと思った。この日は風が弱かったし、煙で花火が隠れるのは毎年のことなので、原因は一つではないかもしれないが。建物が増えて打ち上げ場所が狭まっているのであれば、復興の進捗がもたらした事態かもしれず、痛し痒しであるが、復興が進んだのであれば、まずはそれを喜ぶべきであろう。

そんなことを思いつつ、花火大会の余韻を楽しみながら帰路に就いたのである。

 

(動画) 20160801 石巻川開き祭り帰省 03 花火大会編

 

20160801 石巻川開き祭り 帰省02 パレード&花火編

※ 左下角の▼をクリックするとスライドショーがスタートします。右下角をクリックすると拡大表示されます。

 

 

付記1

「 Reborn-Art Festival×ap bank fes 」では7月29日から31日の3日間で4万人が来場したという。 →石巻経済新聞


付記2

前の記事で大文字屋の店頭で毎年出店しているお店で、今回のアートフェスに出店しているのは、「楓楸栞(ふうしゅうかん)」さん。こちらのイベントHPの「HAMA MARCHE ハママルシェ」部門に出店告知されています。
楓楸栞さんのFacebook

また、住吉出身の鈴木くんの同窓である「松原荘」さんも「ハーバー横丁」というカテゴリーで出店されていた。HPを拝見するといろいろな試みをされているようだ。
ハーバー横丁
松原荘さんのHP


付記3

北上川には現在新しい橋が建設中であるが、東側と西側の橋の先端が離れているのでおかしいなと思っていたら、一方は建設のための仮の橋だという。また内海橋は撤去されずに、新しい橋の完成後も歩行者用として利用されるそうだ。

付記4

石巻川開き祭りの模様を伝える記事。
Hibinet 石巻日日新聞
石巻かほく「第93回石巻川開き祭り 完全燃焼 復興の志 空に川に」

 

付記5

前の晩に4合瓶を空けた「水鳥記(みずどりき)」というのは気仙沼のお酒で、中学の同窓生が女将になっている「角星」さんという蔵の新シリーズのようである。私のおじの淳さんと懇意にしている穀町の四釜商店さんで物色していて「見たことない酒だ」と思い、よく見ると角星さんの酒だった。山田錦の特別純米で、雑味がなく、すっきりしていて、適度な酸味と甘味と旨味があり、バランスよくキレもよい、良酒である。4合飲むことはふつうはないのだが、つい飲み過ぎてしまう美味しさであった。


このシリーズ第2弾と第3弾は美山錦を使用しており、酒質としてはそちらの方がより美味しいのではないかと今探しているのだが、人気らしく入手困難となっている。
蔵のHPを見ると、こちらも被災し大変な苦労をされたようで、つい最近になって本社店舗が再建されたとのこと。
角星HP 蔵元だより

この建物、昭和初期建築のものを震災前と同じつくりに仕上げたとのことだが、実は国から登録有形文化財(建造物)にも指定されている貴重な建物。
文化遺産オンライン

付近のかさ上げがまだということで、まだまだ御苦労があると思いますが、お酒を飲んで応援させていただきたいと思います。

あ、四釜商店のおばあさんは元気でした。私が声をかけたら、ついさっきジュンさんから電話をもらったところだと言っておりました。

 

追記(20160817)

パレード先頭の消防音楽隊を先導したのは石巻赤十字看護専門学校カラーガード部「ガーネッツ」。今回はコラボだったそうです。

石巻かほく メディア猫の目 「石巻川開き祭り、盛り上げます! 初参加チームを紹介」

20160816 石巻川開き祭り帰省 03 -8月2日朝の石巻(さまざまな変化が見られた) -

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8月2日朝5時過ぎ起床、撮影に出かける。中央2丁目の寿通りを北進。中央3丁目にできた新しいコンビニは石巻テラスという新しいマンションのテナント。住吉で妙に人懐こいネコに遭い、川沿い~内海橋~広小路~門脇へと進む。祭りの翌朝なのに通りはゴミがほとんどなくきれいだった。ボランティアの学生たちや商店街の人たちが清掃していたのである。

 

内海橋の北側に新しくできる新内海橋の工事現場。

立町通りの国道とつながる新しい橋の建設が進んでいる。前記事でお伝えしたように内海橋は歩行者用として残されることに。


旧丸光跡。

2012~2014年にここにあった「石巻まちなか復興マルシェ」は現在は「橋通りCOMMON」と名前を変え橋通りに新スペースとして設置されている。

石巻まちなか情報局 橋通りCOMMON

“橋通りCOMMONになっていい雰囲気の場所に”

橋通りCOMMON Facebook

「石巻商工信用組合」もアイトピア通りに移転したため、現在旧丸光跡の並びにある建物は壽屋酒店さんだけとなっている。

なお、旧丸光跡地には生鮮マーケットが建設予定とか。

川沿いにはかなりの高さの堤防が築かれるはずだが、そちらとの兼ね合いがどのようになっているかは不明である。

市内にはマンションや復興住宅の建設が進んでおり、いずれも5~6階建てのマンションタイプだが、中央や門脇の川沿いや南浜町の海沿いにも建設されている。危険区域として宅地としての使用を制限されるような話を聞いたことがあるが、そのあたりがどうなっているのか、調べておきたいと思う。

 

南浜町。

 

称法寺や門脇小がある辺りで、津波の被害が最も大きかった地域だが、嵩上げ・道路整備などがだいぶ進んでおり、災害復興住宅の建設も見られる。ここに再び人が住む。現在は商店など皆無だが、道路が整備されれば生活上の最低限のインフラは整ったことになる。称法寺さんは本堂の再建が進んでいない。復興の進捗において生ずるギャップを目の当たりにした思いがする。

日和山。

ここから雲雀野埠頭あたりを探してアートフェス会場を見る。やはりかなり広い。鹿島御児神社の本殿は解体されることになっていて、支援金を募っている。


日和山から急坂を下る。

途中、保育園に向かうらしい少女から「おはようございます。」と元気良く挨拶される。坂の左手には旧市役所の跡地に建設される「復興公営住宅」の建設事務所があり、工事の関係者がパラパラと出勤してきていた。

旧石巻市役所跡の復興住宅 1階に交流拠点整備へ 娯楽室や浴室併設



順番が前後するが中央1丁目の佐藤外科の横の建物も復興公営住宅とのこと。資料によると石巻市内で建設されたものは平成27年度までに40箇所以上にのぼる。因みに中央1丁目のかつてナリサワ文具店があった角地にも建物が完成していた。

役所の文書では「災害公営住宅」と「復興住宅」の二通りの表記がある。

宮城県HP 災害・復興 災害公営住宅が完成しました(石巻市) (H24-27年度)

かつてそろばん塾のあった神社を横目に石巻小学校から永巌寺、お不動さん(正式には「大聖不動明王」というらしい)、寿通りから再び石巻アイトピア通りに戻り、中央2丁目までを歩く。

 

大聖不動明王については境内にある細谷十太夫の碑なるものがあり、これに関する記事がネット上にいくつか見られた。

史跡訪問の日々

史跡宮城石巻市

不動明王は、「密教特有の尊格である明王の一つで、五大明王の中心となる明王。真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている」とwikiにはある。ただ、この「お不動さん」がどのような経緯でここにあるのかは分からない。

更地になったところも多いが、昨年来見慣れてしまったせいか、そう違和感はなかった。それより復興公営住宅をはじめとした新しい建物の出現が目立ったように感じた。こういう建物ができるということは、そこに住む人ができるということであり、それによって新たな人の流れができ、商店街の再興も期待されるところだ。

まだ至る所に打ち捨てられたような場所があり、ギャップも見られるのであるが、震災5年を経て、復興が新たな段階に入っていることを感じた。

そして、空の青さと大きさ、雲の白さが、妙に印象深かった。

 

20160802 石巻川開き帰省 03 8月2日朝の石巻01 (アイトピア~住吉~橋通り)

 

20160802 石巻川開き帰省 03 8月2日朝の石巻02 (橋通り~門脇~南浜町)

 

20160802 石巻川開き帰省 03 8月2日朝の石巻03 (南浜町~日和山)

 

20160802 石巻川開き帰省 03 8月2日朝の石巻04 (旧市役所~永巌寺~お不動さん~アイトピア)

 

201608 favorite songs

 

 

 

付記1

キクちゃんは白内障で右目の視力が落ちているそうだ。大文字屋は今年はいろいろあったそうで、そういう気苦労もあったのかもしれない。まあ体にいい食い物を何か送ろうと思っている。

付記2

この撮影後、故平塚達也くんの実家(小柳町)に寄り、おかあさんに挨拶してきた。先日うっかりしてガードレールか何かに膝を打って水が溜まっているが、抜くための注射が怖くて、そのままにしているとのこと。私の電車の関係であまり長く話はできなかったが、お元気そうだった。


付記3

同窓生より便り(メール)をいただいたのでご紹介を。

★佐藤修君より

佐藤淳一君の記事が河北新報に掲載。現在「仙台子ども体験プラザ」の室長をされているようです。
利用児童1万人突破

★石原(旧姓荒木)君より

「石巻学」の出版と第二号刊行
…石原君の門中同窓の方が「石巻学」なる雑誌を出版された。この度第二号刊行が決まり(8月26日予定)、「港町シネマパラダイス」という題で、映画を切り口に石巻を見るとのこと。
→石巻学2号案内(下記をそのまま検索欄にコピー・実行するとpdfに飛びます。)
 file:///G:/2016/2016-06%20%E6%83%85%E5%A0%B1/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%AD%A62%E5%8F%B7%E6%A1%88%E5%86%85.pdf

予約・注文は下記まで。
〒236-0052 横浜市金沢区富岡西2-21-23  デラシネ通信
Fax 045-773-4643 Tel 090-2207-8185
HP:http//deracine.fool.jp

創刊に関しては次のような記事も出たとのこと。→紹介記事

 

★坂本君より

大曲小・校歌を訪ねて放映について

…BS-TBSにて「校歌を訪ねて・大曲小学校」が放映されます。

日時:平成28年8月20日(土)午後8時54分~午後8時59分(5分間)。

番組は復興支援番組として、また被災して全国にいる東北出身者への思いと「震災」を風化させないというメッセージを届ける番組として、企画。平成28年7月2日(土)スタート、全24回放送予定とのこと。お問い合わせは大曲小学校までお電話にて。

20160819 石巻川開き祭り帰省 04 -那須塩原温泉に寄ってきた+去年の田沢湖温泉の旅-

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帰路に那須塩原温泉に寄ってきた。     (↑は昨年の田沢湖温泉の旅。宿からの田沢湖の眺望)

大文字屋を午前に9時に出ると平塚達也くんの実家に寄り、駅へ。

事前の予定は、

10:24 石巻発 仙石線各駅停車
11:51 仙台着
12:00 仙台発 東北新幹線やまびこ212号
13:01 那須塩原着
14:00 那須塩原発 旅館送迎バス

であった。ところが駅に着くと、9時58分発仙石東北ライン快速仙台行があった。これだと11時04分仙台着で乗り換え時間も1時間近くと余裕があり、S-PALの日本酒量り売り自販機(藤原屋 みちのく酒紀行/S-PAL仙台)を試すこともできる。しかし、すでに発車3分前、切符も買っていないということで、見送った。PASMOでとりあえず乗ってしまえばよかったかな。

それと乗り継ぎはナビタイムで調べたのだが、このサイトはたまに便やルートを見落としていることがあるので、気を付けなければ。

切符購入後、駅の喫茶店で石巻ブレンドを飲んで一服。10時24分の仙石線に乗車。ホームからは完成間もない市民病院が見えた。

仙台駅でけっこうヒヤヒヤものの乗り換えをし東北新幹線に乗車。

今回、那須塩原温泉に決めたのは、帰宅後に少し締め切りの近い仕事があったため、できるだけ自宅に近いロケーションが望ましかったからである。尾瀬の湿原を歩いてみる案もあったが、大宮から上越新幹線に乗り換えて群馬に入るルートはかなり時間がかかるため、次の機会に。尾瀬にもいい温泉旅館があるし、来年は螢鑑賞も含め、マストである。

さて、那須塩原駅に着き、旅館の送迎バスが来るまで少し時間があったので駅前のレストランでお茶をしていると、突然の雷雨。ほとんどゲリラ豪雨の降りで、バス送迎の時間になっても降り止まない。レストランから駅舎まで50mほどは雨を避ける場所がなく、傘を持ち合わせなかったので、新幹線の備え付け雑誌トランヴェールを頭部の雨除けにして駅舎へ。ちなみに那須塩原は温泉地であるが、駅前に繁華街はなく、土産物屋と飲食店が数軒あるのみであった。ここから車やバスで温泉街や観光スポットに向かうのである。

14時を過ぎても送迎バスすの姿が見あたらないので宿に連絡すると、出たのでもう少し待ってくれとのこと。この雨で少し遅れ気味らしい。5分程して送迎のハイエースが無事到着。激しい雨の中、送迎バスはひた走る。道はところどころ30cmほど冠水している。那須塩原市は標高200mはあるが高原なので平坦な土地ではかなり水が溜まる。その一方峡谷を縫う目の眩むような山間の道もあり、激しい雨の路面状況を考えると、かなり危険なドライブだ。

45分程で宿に到着。創業400年の会津屋さん。前日の予約に快く応じてくれた。前日の感触では関東の温泉宿は前日予約はなかなか難しい。この宿を選んだのは露天風呂があること、風呂が3つ以上あることである。

建物は6階建て。新しくはないが、館内は清潔で落ち着いた雰囲気。かつて宴会で深夜まで大騒ぎして館内をヨッパライ数人に走り回られたことがあるので安心。部屋も広くて静か。部屋からは箒川を望める。3種の風呂はいずれも美肌に効くとのことだが、2日間炎天下を歩き回って真っ赤に焼けた肌がかなり癒された。

地元素材を活かした料理も美味しい。日本酒は天鷹の純米大吟醸。やや甘めの味。燦爛という銘柄もあり、あまり聞いたことがないのでとりあえず避けたが、後で調べたら、この蔵、私の大好きな「望」(「ボウ」と読む)を造っている蔵。これも飲んでおけばよかった。

明朝、少し寝坊して8時過ぎの朝食に遅れてコールされる。一晩に4回も風呂に入ると起きる時間も遅くなる。でもよく眠れた。

チェックアウト前に付近を散策。辺りには箒川にかかる吊橋がいくつかあり、無料の露店風呂もあった。入りたかったが時間がないので断念。宿に備え付けの観光案内にそのあたりも載せておいてもらいたかった。

宿をチェックアウト。送迎バスに乗り、那須塩原駅まで送迎バスに乗る。前日は豪雨で気付かなかったが、このあたり牧場がかなりあり、肉製品や乳製品も名産となっているようだ。そういうわけで那須塩原駅では「御用邸チーズケース」なるものと「栃餅」を購入。前者はレアチーズ風味を残したベイクドチーズケーキ、後者は素朴な味わいで、美味しかった。

新幹線で東京着。グランスタのはせがわ酒店のカウンターで日本酒を2種類飲む(新政と水芭蕉)。肴メニューが塩辛いものに偏っている印象を受けた。美味しい日本酒には合わないのではないかと思えるものが多かった。

こうして今回の帰省は終わった。

関東の暑さは今年は昨年ほどではないが、また残暑がぶり返すであろう。体調を整えてリスタートである。

 

動画…2016 石巻川開き祭り帰省 04 猫と撮り鉄と温泉(少しずつ)

フォト・アルバム…20160819 石巻川開き祭り帰省 04 -那須塩原温泉に寄ってきた-

 

付記1

なお、昨年は帰省後に秋田新幹線に乗って田沢湖温泉に行ってきたが、掲載するタイミングを逸したので写真と動画を掲載しておく。投宿したのはホテルグランド天空。地ビール「天空」は試しに飲むと大変美味しい。支配人に尋ねると、地元の業者のビールのネーミングがホテル名と偶然重なった、全国コンクールで1位を受賞した人気の品らしい。部屋と露天風呂から田沢湖を望めるナイスビュー。

以前の別の名前で営業していたらしくリストラ中なのだと思うが、設備は良く接客の感じもよいので、生き残ってほしいホテルである。

秋田新幹線は単線区間があるため列車すれちがいのため数分間待機線での停車があることに驚いた。 

帰路、田沢湖に寄り、湖上遊覧をし国指定天然記念物の秋田犬(あきたいぬ)などを見た。秋田犬は覇気がなかった。まあ暑かったから仕方がない。

土産物店にはお昼の時間帯に団体客がイナゴの大群のように押し寄せ去っていく。三陸支援コーナーも各所に。

秋田には美味しいものが多いが、特に「いぶりがっこ」は酒のつまみに最高であった。

美味しいものと言えば、田沢湖駅前の何てことない喫茶店で食べたミックスサンドが大変美味しかった。秋田といえば学力テストトップの県として知られるが、何かひとつひとつにさりげない気配りと丁寧さを感じる。そういう県民性のようなものがあるのではないかと思った。

いい旅だった。

 

 

動画…2015 0803 田沢湖 遊覧 帰省04

フォト・アルバム…20150802 石巻 川開き 帰省 05 田沢湖に足を延ばす

 

付記2

仙石東北ラインは仙台―高城町間を東北線、高城町-石巻間を仙石線で結び、高速輸送を図ったものである(専門用語なのかwiki記事では「速達性」という言葉で説明していた。)2015年5月30日開業、2016年8月6日からは女川までの直通便もできた(石巻-女川間は石巻線)。今回気付いたのは、仙石線は快速がなくなり各駅停車のみになったことである。両線の仙台―石巻間の所要時間は次の通りである。

仙石東北ライン特別快速…52分
仙石東北ライン快速  …58分
仙石線各駅停車    …79分
(2016年8月現在)

仙台―石巻を高速移動する場合には選択肢は一つということになる。

なお同線は東北線松島駅と仙石線高城町の間で東北線と仙石線の線路の接近している地帯があり、ここに両線をつなぐ接続線路を設けて乗り入れを可能にした。2017~2018年までに改良工事を実施する予定で、これにより所要時間のさらなる短縮が見込まれるという。

 

付記3

同窓生石原君のメールに五十肩に悩む云々とあった。注射一本で治った説から、どこへ行っても治らない説まで諸説紛々だが、
私自身は、ジムのトレーナーさんからインナーマッスルを鍛えるといいと言われ、実践している。
痛みは軽減しているのでそこそこ効果はあるようだ。
ご参考までに。

20161106 三好屋さんに行ってきた。(10月20日)

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 10月20日に鰐陵(石巻高校)柔道部の後輩鈴木くんと三好屋さんに行ってきた。

 三好屋さんは女川出身の松川さんが女将を務める小料理屋さん。女川の旬の魚介と宮城の銘酒を飲み食らわせてくれるお店である。

 三好屋さんは、元々は女川にあった雲丹(うに)の加工屋さん。東日本大震災で被災。工場は流され、従業員さんに犠牲者もでました。今回検討を重ねた結果、東京都豊島区長崎(西武池袋線東長崎駅徒歩2分)でお店を開くという形で再起を果たしました。

 震災直後、鈴木くんが三好屋さんと仕事上縁が深かった関係で、私が三好屋さんの安否をツイッターで発信する等のかかわりがあり、その後副社長の松川さんとお電話でお話をする機会もありました。
 その際に今後どうするかにはついては悩まれている最中で、老舗の看板は存続させたいが、その重みを考えると中途半端な事業再開はできない。住まいやお子様の事情もあるし…。そんなお話をうかがっていたのでした。

 そしてこの9月に小料理店という形でお仕事再開となったわけです。お話をうかがうと、周囲からは「いつまでも待つし、必ず応援するから、しっかり考えて結論を出しましょう」という声をもらっていて、熟慮を重ねた末の結論でした。女将さんは三好屋さんの副社長さんですが、お母様も健在で、家族で長く続けられ、女川とのつながりを生かせる事業ということでの選択だったようです。

 鈴木くんは三好屋さんご一家とはもともと懇意ですが、この夜は予約無しのサプライズ訪問にしたいと言う。当夜は金曜日だし、既に当店訪問済の従妹のマサコさんのお話では、店は狭くて満員の可能性があるから要予約だよと言われていたので、予約無しでは満員の場合に入店できないけどいいの?と訊くと、その時は他の店で、などと言うので、私は「なんじゃそりゃ、わかるけど」と言いながら、私の名前で予約すれば向こうも誰かわからんので大丈夫だろうということで、私の苗字で予約を入れて、17時50分に東長崎駅前に集合したのだった。

 鈴木くんは私をまず店の中に入れさせ、「予約を入れた佐藤ですが」と言わせてから、突然訪れたかの如く入店。「お久しぶりです。」と言うと、女将さんと大女将さんとが「あらーッ、鈴木さん!!」と驚きの声を挙げつつ再会を喜びあったのでした。

 店内は無垢の木とアイボリー系の色づかいで明るいながら落ち着いた佇まい。カウンター8席程度に8名程度座れる小上がりもあるので、思ったよりもゆったりとした店内だ。

 まずビール、その後私は日本酒を、鈴木くんは焼酎をボトルで。

 料理はお通し(焼き物と酢の物)、蒸しホヤ、サンマ塩焼き、貝の刺身、ホヤの塩辛(このわた和え)、鯨の刺身(どの部分だろう?)。魚介はすべて宮城・女川直送。宮城・女川の縁が生きた新鮮な食材だ。

 女将さんは飲食関係の仕事は初めてだが、訪れるお客さんからは、前はどこでやってたの? とよく聞かれるそうだ。女将さんの明るくオープンな人柄がこの仕事でも生きているのではないかと思った。(因みに私や鈴木くんとほぼ同世代。)

 女将さんには障害のあるお子さんがいるのですが、そのお子さんの描いた絵が数点店内に掛かっており、絵の才能があるのかなかなか素敵な楽しめる作品で、お店の雰囲気づくりに一役買っています。

 また、この日はご近所に住まいの老紳士が来店していましたが、この方も宮城のご出身で、ご当地の話題で話に花が咲いた。お客さんには宮城出身の方がここと狙いを定めて来たり、また、地方から東京に来た際に寄ったりすることも多いそうだ。また、東長崎駅はターミナル駅の池袋から2駅目の住宅街。池袋あたりで1軒目に入り、自宅近くのこの店でもう一杯というお客さんも多い。その関係からか、金曜日が忙しいとは限らず、月曜や火曜に大挙客が押し寄せて早くから満席になることもあるとのこと。実際この夜も私たちが入店するまではそれほど混んではいなかった。

 開店は9月で、ずっと忙しい状態が続き、最近ようやく落ち着いてきたかなとのこと。まだスタートを切ったばかりで、手探りのことも多いようです。

 この店のもう一つの売りは日本酒である。宮城の銘酒、浦霞、伯楽星、乾坤一、日輪田、一ノ蔵の純米大吟醸・笙鼓(しょうこ)、綿屋の院殿、墨廼江、日高見などなど、日本酒ファンの私としては垂涎の的が揃っている。女将さん、日本酒の問屋さんと話をした際、この商売が初めてということで最初は歯牙にもかけられなかったらしく、その後酒の揃えを見てびびったからかどうか、失礼のお詫びにと十四代(プレミアがつく山形の希少人気銘柄)を一本持参してきたとのこと。

 お店を始めることに決めるにあたっては大女将さんがエネルギッシュで、ここで終わるような人ではないと女将さんが感じていたこともあるとのこと。大女将、東京では電車の時間を気にしなくていい、こんな便利さを味わえるとは思わなかったと東京での生活をエンジョイしているようです。

 鈴木くんは震災前は、異郷の地で働く女川三好屋さんの従業員さんと一緒にお祭りに参加したり、三好屋さんが従業員さんに浴衣をプレゼントするなど、たんにビジネスというだけではない血の通った交流があったようです。ふだんの彼の言動から推察してはいたものの、そういう話を聞いて本当に感心したのでした。

 サンマは旨いし、貝の刺身も旨いし、鯨も旨いし、お新香まで旨いし、日本酒はもちろん旨いし、女将さんは明るいし、大女将さんは面白いし、同席したお客もフレンドリーだし、店内は飲み屋の薄暗いイメージとは無縁の、明るくエネルギッシュな女川ワールドが繰り広げられていたのであります。

 この夜私は飲み過ぎたらしく、どうやって帰ったか記憶にないのですが、後でパスモの記録を見ると、東長崎の駅に12時過ぎに入場している。6時間近く飲んでいたらしい。空きっ腹だったので、だいぶ回ってしまったようです(苦笑。 

 この夜のホヤは旬を過ぎ生で本当に美味しいをものは来年までお預けなので、来年は生の美味しいホヤと美味しい日本酒をいただきに再度訪問しようと思っています。

 三好屋さん、美味しい女川の海の幸、宮城の地酒、御馳走様でした。また行きますので、いい酒用意しておいてください。

 

20161106 三好屋さんに行ってきた。(10月20日)

 

付記1

 三好屋さん、食べログなどにはまだ情報を出していないそうです。もう少し落ち着いてから検討していきたいとのこと。なお、こちらで三好屋さんの店舗情報が見られますのでどうぞ。

→ 練馬・桜台情報局 刺身おまかせ三点盛@三好屋(東長崎)

 上のサイトによると、営業時間等は下記の通りです。

 住  所 豊島区長崎4丁目31-3
 営業時間 17:30~23:30(23:00)
 定休日 日・祝
 2016年9月6日オープン

 

付記2

 もうだいぶ前になりますが、リオ五輪のこのシーンには痺れました。…極限の集中。

 【NHKリオ】高橋・松友の大逆転 ノーカットで最後の5ポイントをお伝えします バドミントン女子ダブルス    

 

付記3

  最近の2曲

Charlie Puth - We Don't Talk Anymore (feat. Selena Gomez) [Official Video]

 

The Chainsmokers - Closer (Lyric) ft. Halsey

 

追記(20161107)

 当初の掲載内容に事実と異なる点があったため上記日付にて訂正しております。

 

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